紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

金沢市 野蛟神社(ぬづちじんじゃ)

j-sampo.comより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 野蛟神社(ぬづちじんじゃ)は、天平3年(731)に創立と言われる古社。御祭神は高皇産靈神、猿田彦神、事代主命、野椎神。加賀郡延喜式内社野蛟神社の比定社。神社の云われについて、「当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流…

金沢市 尾崎神社

案内板 「 尾崎神社 当神社は天照大神、東照大権現(德川家康)、第三代加賀藩主前田利常を祀る。寛永二〇年 (一六四三)、東照大権現を祀ることを許された みったか 四代藩主光高が、金沢城北の丸に東照三所大権現社として建立。 徳川家葵の紋がところどころに…

加賀八家 奥村家屋敷跡

案内板 「 加賀八家 奥村家(宗家)屋敷跡 奥村家は、前田家が尾張(愛知県) 荒子城にあった頃よりの旧臣です。藩政時代は永福から栄滋まで 14代 を数え、禄高は数回の加増ののち1万7000 石を世襲しました。 加賀・能登・越中の要衝、末森城(現宝達志水町)城主…

願念寺

案内板「 松尾芭蕉。小杉一笑ゆかりの寺 願念寺 野町一丁目三の八二 蕉門の俳人・小杉一笑の菩提寺 境内に一笑塚がある。 また、元禄二年(一六八九年)『おくの細道』で来遊した松尾芭蕉が一笑の追悼 会に出席し、その死を悼み詠んだ 『つかもうごけ我泣く声…

本長寺 芭蕉句碑

案内板「 芭蕉句碑 『春もやや 気色ととのふ 月と梅』 元禄6(1693)年1月中旬、許六(注1)の江戸旅亭(井伊藩邸の 中にあった)で描いた俳画の画賛。 許六の『旅館日記』では『梅月』と題されている。この梅が紅梅 である事は『紅梅の画賛也』 とある 『続猿養』…

黒門前緑緑地 旧高峰家

案内板「 黑門前緑地〈旧高峰家·旧検事正官舎〉 この黒門前緑地は、平成七年(一九九五)まで、金沢地方検察庁検事 正官舎の敷地であったが、平成十三年(二〇〇一)、官舎の一部とその 土塀を廻らす屋敷構えを保存するとともに、金沢で育ち、アドレナリンや タ…

金沢くらしの博物館と金沢市立紫錦台中学校

金沢くらしの博物館ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 【三尖塔校舎(国重要文化財「旧石川県第二中学校本館」)】 博物館の建物は、明治32年 (1899) に石川県第二中学校の校舎として建てられました。入り組んだ屋根、玄関の車寄せ、上げ下げ窓、胴蛇腹、ランプ…

国史跡辰巳用水

案内板「辰巳用水は、江戸時代初めに金沢城の水利改善を主な目的として築造された、延長約11kmに及ぶ 用水です。築造にあたっては、小松の町人であった 板屋兵四郎が登用されたと伝えられています。 上流部は岩盤をくりぬいた隧道となっており、 よこ 壁面に…

金沢市 上野八幡神社

案内板 「 上野八幡神社 Uenohachimanjinja Shrine 約四百年間の神仏混淆の時代、医王寺と呼ばれていた。 天正年間(一五七三~九二)、能州石動山天平寺の僧・ 空山が後の加賀藩初代藩主・前田利家に内通し、石動 山の麓に建立したと伝えられる。 天正十二年(…

一日一句 178

2023年6月 6/1ダンス練お互ひ見せ合ふ六月や 6/2六月の嵐傘ごと飛ばされそう 6/3朝嵐帰りは爽やか初夏の晴れ 6/4しっかりと歯みがき虫歯予防デー 6/5開くと寒く閉めると暑い初夏の窓 6/6三姫でミッションクリア六月や 6/7ウッディーと追ひ駆けっこする薄暑…

陸奥国分寺薬師堂

宮城県ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 指定文化財〈重要文化財〉陸奥国分寺薬師堂 陸奥国分寺薬師堂 重要文化財(建造物) 伊達政宗が泉州(大阪府)の工匠駿河守宗次等を招いて再建したもので、慶長12年(1607)に竣工した。屋根は入母屋造、本瓦葺。法5間…

陸奥国分寺跡 芭蕉句碑

案内板「 芭蕉句碑 (仙台市指定有形文化財 昭和五十一年七月一日指定) 『あやめ草足に結ばん草鞋の緒』とある。芭蕉は奥の細道の旅の途中、元禄二年(一六八九)五月五日から七日の三日間仙台に滞在したが、その時芭蕉を案内し、翌八日離仙の朝、『紺の染緒つ…

史跡 陸奥国分寺・国分尼寺跡

案内板「国分寺・国分尼寺の創建は、天平13年(741)に、聖武天皇が仏教によって国を治めていくために、60ヶ国ほどあった国ごとに七重塔を一基造り、僧寺と尼寺を設けるように詔(みことのり)を発したことに始まります?陸奥国分寺跡は大正11年(1922)に、陸奥国…

つつじが岡天満宮

案内板「 正宗が育んだ伊達な文化 つゝじが岡及び天神の御社 『つつじが岡』の一画に位置し、『天神の御社』と『おくのほそ道』 に記された榴岡天満宮の境内には、寛文7年(1667年)建立の 唐門、樹齢が約300年を超えるとされるシダレザクラ・シラカシの 老樹…

青葉山公園 大手門跡

案内板「 仙台城大手門は素木造(しらきづくり)二階建、屋根は入母屋造(いりもやづくり)瓦葺である。桁行が 65尺(約19.7m)、側面の梁間(はりま)が22尺3寸(約6.8m)、高さは約12.5m全国的にも最大級の城門であった。正面冠木(かぶき)に菊と桐の金箔押(きんぱく…

青葉山公園 二の丸跡

案内板「二の丸は寛永15年 (1638) 二代藩主伊達忠宗によって造営された。二の丸の御殿(ごてん)部分への入口は詰門 (つめのもん) と呼ばれ、瓦葺(かわらぶき)で平屋造(ひらやづくり)ではあるが、棟の両端に鯱瓦(しゃちがわら)が堂々たる門であった。この門を…

芭蕉の辻

案内板「 芭蕉の辻 ここは、仙台城 の大手から城下を東西に貫く幹線大町と、南町、国分町 を通る奥州街道 の交差する十字路に当たり、古くから芭蕉の辻 と呼ばれてきた。 この名称の由来は、かつてここに芭蕉樹があったがためと言い、また繁華な場所ゆえの「…

鳴子峡

案内板「 鳴子峡 鳴子峡は、地盤の隆起運動とともに、大谷川(おおやがわ)の侵食で刻まれた深さ100mにも及ぶ大峡谷です。弁慶岩や夫婦岩など奇岩奇怪石が連なり断崖絶壁と渓流が織り成す景勝地として、昭和36年には、宮城県の名勝に指定されました。晩春や初…

おくのほそ道 小深沢 案内板

案内板「 小深沢は出羽街道の中で、けわしい沢のひとつで、深い谷底へ降りて越さねばならない九十九折りの道である。元禄2年(1689)5月 芭蕉と曽良が通った頃は、谷底へ降りて、6曲りの坂を上り下りする難所であった。元禄古図に『小深沢、歩渡幅2間、深…

尿前の関 芭蕉句碑 案内板

案内板「自然石の句碑で、石積み台の上に建てられ、表面中心に芭蕉翁、右に俵坊鯨丈、左に主立周谷、裏面に、蚤虱馬の尿する枕元、明和五戊子六月十二日尿前連中、と刻まれている。一七十二年建てられたもので芭蕉が尿前の関を通過してから約八十年後に建て…

おくのほそ道 尿前の関

案内板「 古くからこの周辺は国境として柵が設けられ、天明2年(1782年)の『岩手関由来書』(鳴子・肝入遊佐甚之丞)には、『秀衡の世に陳ケ森の陣に多数詰居て(中略)柵のあとありありと残る』とある。尿前に番所が建てられたのは、仙台藩の法令『御境目御仕置…

黒羽境界石

案内板「 市指定文化財 黒羽領境界石(史跡) 管理者 浄泉寺 黒羽藩主大関増業(ますなり)は、自藩と他藩との境界を明らかにするために、文化十~十一念仏(一八一三~一四)何箇所かに境界石をてた。ちょうど増業が大阪城勤務の時で、碑は大阪で造られ、船で運ば…

八坂神社境内 芭蕉の句碑

案内板「 芭蕉の句碑 芭蕉が元禄二年(一六八九年)三月(旧暦)『奥の細道』行に旅立ち、黒羽より高久に向かう道すがら四月十六日、手綱をとる馬子の願いにより作り与えた句を碑にしたものである。 野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす この句は、どの辺りで作ら…

清川地蔵尊

案内板「 清川地蔵尊 管理者 鍋掛行政区 清川地蔵の建立は、延宝七年(一六七九)で、本市の石仏地蔵の中では古いものである。 当時の宿場の生活は決して楽ではないと思われるが、人々の信仰の強さを物語る大きな地蔵である。 お地蔵様は、庶民のあらゆる願い…

鍋掛の一里塚跡

案内板「 市指定文化財 鍋掛の一里塚(史跡) 管理者 鍋掛神社 江戸時代、全国の主要な街道に日本橋を起点として一理毎にその目印として築かれた塚で、ここ鍋掛愛宕峠の塚は奥州街道四十一番目のもので、江戸より四十一里(約百六十一キロメートル)の距離を示す…

樋沢村 葛籠石・八幡太郎義家愛馬蹄跡

案内板「 葛籠石・八幡太郎義家愛馬蹄跡 (つづらいし・はちまんたろうよしいえあいばひづめあと) (伝説の地) 管理者 樋沢葛籠会 ここ、葛籠石・八幡太郎義家愛馬蹄跡の巨石にまつわる言い伝えは、樋沢村に古くから残っている。 後三年の役(一〇八三~一〇八…

樋沢の不動明王像

案内板「 樋沢の不動明王像(お不動様) この像は寄木造りという二枚以上の木を組み合わせるという技法で作製されたもので、背面に明曆二年(一六五六年)に作製されたと記されている。同じく背面に下部には制作者の名前らしき文字があるが、現在、判読すること…

鏡ヶ池

案内板 「 八溝県立自然公園 鏡が池 三浦介義明が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに伸びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩…

玉藻稲荷神社の源実朝の歌碑の案内板

案内板「鎌倉第三代の征夷大将軍、右大臣源実朝は承久元年正月(一二一九)拝賀の礼を鶴岡八幡宮に行い、帰途公暁(くぎょう)に殺され、二十八歳にして劇的な死を遂げる。後世の人々は将軍右大臣実朝としてよりも、悲劇の歌人実朝として不朽の名を称える。…

篠原玉藻稲荷神社

案内板「 篠原玉藻稲荷神社 こゝは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。 宝前の社殿改建記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある。 建久四年(一一九三)源頼朝が那須游猟のときこの社に参詣したという…