紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

台ケ原宿 登記所跡

案内板 「 登記所跡 この登記所は、明治二十四年二月甲府区裁判所若神子出張所の管轄のうち、菅原村外十ヶ村を分離し、管轄するために開庁された。 はじめは、龍福寺の庫裡を借りて庁舎としたが、その後、民間の個人宅を借りて業務を行ってきた。しかし、大…

本陣跡と秋葉大権現常夜石燈籠

案内板 「 ⑭ 本陣跡 大名が陣を敷いた場所というところから、大名級の者が宿泊した所である。したがって、規模は広大であり、門を建て玄関を設け、上段の間を有することで一般の旅籠と区別され、一般の旅籠には許されない書院造りの建築様式であった。 天明2…

立場跡と共同井戸跡

案内板 「 立場跡と共同井戸跡◎立場跡 立場は宿駅の出入り口にあり、旅人・籠かき・人足・伝馬などが休憩する掛け茶屋であった。建坪が四十二坪で、時には旅籠としても利用されていた。◎共同井戸跡 昔は、湧き水や川水などが生活用水として利用されていたが…

庚申塔と馬頭観世音

案内板 「 ⑲ 庚申塔と馬頭観世音◎ 庚申塔 庚申塔とは、干支(えと)の庚と申が結びついた六十年に一度回ってくる年や日のことである。 庚申の夜は、眠ると人の体の中の三尸(さんし)という虫が抜け出して、天の神の所に行って悪口を告げるので、その日は『守庚…

横山の道標

案内板 「 ㉒ 横山の道標 ここの道を古道という。古府中より穴山、 日野を経て台ヶ原村へ通じる道で、後に「は らぢみち」ともいわれていた昔日の主要道路 である。 甲州道中の開設により台ヶ原村 への入口で もあったので、江戸時代には交通の足である 馬の…

甲斐市竜王新町丸石道祖神 古跡保存標識

案内板 「 古跡保存標識1、名称「竜王新町下宿道祖神場」 ※(1) 道祖神、丸石神体径45cm(銘)衢神、文正文七申極月、氏子中 (2) 白檀古樹(種別大木)目通130cm 樹齢約200年、主幹奇形 (3) 古井戸、明治初年掘削、コンクリート巻、枠径96cm近辺…

連歌発祥の地

案内板 「 連歌発祥の地 景行天皇の皇子日本武尊は、蝦夷制服の帰途、『日本書紀』によれば、常陸を経て甲斐国に入り、此処、酒折の宮にしばらく居られた。 着宮の夜、皇子が歌をもって、 新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる と問われたのに対し、ひ燭人(ともしび…

石和本陣跡(市指定史跡文化財)

案内板 「 石和本陣跡(市指定史跡文化財) 宝暦11年(1761) 信州高遠城主内藤大和守が参勤交代のため、初めて本道 ようじんべえ 中を通行することになり、 石和宿仲町の後藤甚兵衛に本陣を命じたことが けいじょう はじめといわれる。以来子孫が継承して明治に…

石和宿本陣跡

案内板 「 石和本陣跡 本陣は江戸時代、大名公家幕府の役人高貴な人の宿泊する所である。 石和御本陣は寛永年間(1625頃)幕府の命により此処に置かれた。特に大名が宿泊し信州松代城10万石を初め全国の諸大名が宿泊し、大名宿とも言われ明治維新まで続いた…

勝沼学校跡

案内板 「 勝沼学校跡 勝沼町内には、明治九年に造られた祝学校と明治十三年に造られた勝沼学校の二棟の藤村式学校建築がありました。共に南部下山大工の松木輝殷(てるしげ)が手掛けたものです。 勝沼学校は、勝沼町と等々力村の学校として建てられ、明治十…

旧田中銀行社屋

案内板 「 旧田中銀行社屋 国登録有形文化財 明治30年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられた洋風の建物。大正9年より昭和7年ごろまで『山梨田中銀行』の社屋として利用されていました。 外壁は砂漆喰を用いた石積み意匠、玄関の柱や菱組天井、二階のベラ…

勝沼宿仲松屋

案内板 「 勝沼宿仲松屋 勝沼宿 仲町の中松屋住宅は、江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治前期の建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築から成る。東屋敷の主屋は北西隅に帳場を置く田の字型を基本とした、板葺、二階建建築で、通り土間を挟み明…

柏尾の古戦場

案内板 「 柏尾の古戦場 明治元年(1868)3月6日、近藤勇率いるかつての新撰組、会津藩兵甲陽鎮撫隊と因幡、土佐、高遠藩兵からなる官軍がこの地で戦った。 甲府城占拠を目指す幕府軍は先に甲府入城を果たした官軍を迎え撃つため、勝沼宿に2ヵ所の柵門、柏尾…

柏尾坂の馬頭観音

案内板 「 柏尾坂の馬頭観音 明治36年(1903)中央本線が開通するまで「甲斐駒や江戸へ江戸へと柿葡萄」(其角)が伝えるように、甲州街道の物流を担っていたのは馬である。街道に沿って配置された宿場には、高札で次の宿までの馬での運送賃が駄賃として掲げられ…

柏尾の戦い

案内板 「 柏尾の戦い 慶応4年(1868)3月5日、江戸より大久保剛(近藤勇)率いる幕府軍は、柏尾橋の東詰、鳥居の前に本陣を据え、大砲を二門据えつけ、宿内二箇所に通りを遮る柵門を設け、日川左岸の岩崎山に日野の春日隊を配した。夜にはいたる所で簿火がたか…

柏尾橋

案内板 「 柏尾橋 明治13年6月明治天皇の山梨御巡幸に際し、甲州街道の拡幅整備が進められた。 この時柏尾橋は、幅3間長さ19間の欄干付き木造橋として掛け替えられた。橋は深沢の両岸の岩盤中程から、二段の石垣を積み上げ橋台とし、下段の石垣からトラス構…

史跡 鶴瀬関所跡

案内板 「 史跡 鶴瀬関所跡 甲州道中鶴瀬宿東のこの地は、北は山々に閉ざされ、南は日川に阻まれた天然の要害となっており、郡内領より笹子峠を越えて国中に通ずる要所にあたり、ここを通らずして江戸への出入りが難しいこの地に関所が設けられました。 この…

案内板 笹子峠 甲州峠唄

案内板 「 笹子峠 徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里) を開通させました。 笹子峠はほぼその中間で江戸から約二十七里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を結ぶ標高壱千五十六米、上下三里の難所でした。 峠には…

笹子隧道について

案内板 「 笹子隧道について 四方を山に囲まれた山梨にとって昔から重要な交通ルートであった甲州街道。その甲州街道にあって一番の難所といわれたのが笹子峠です。 この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から十三年まで、国庫補助を入れて二八万六千…

矢立の杉の歌詞の碑

矢立の杉の歌詞の碑「 矢立の杉作詞・作曲 大地良 唄 杉良太郎絹雨が降り 足が止まる 虹が出て まるで夢の中 目の前に そびえる 千年の杉 旅人よ 少し休んでいかないかと 語りかけてくる ここは甲州笹子峠の 黒野田村 矢立の杉の物語粉雪が舞う 夢も凍る 立…

矢立の杉

案内板 「 県指定天然記念物 笹子峠の矢立のスギ 所在地 山梨県大月市笹子町大字黒野田字笹子1924の1種類 スギ 指定 昭和35年11月7日 所有 山梨県このスギは昔から有名なもので、昔の武者が出陣にあたって、矢をこのスギに うちたてて、武運を祈ったところ…

笹子峠 三軒茶屋跡 顕彰の記

案内板「 顕彰の記 過ぐる明治十三年六月十九日大帝本縣御巡幸に際し 畏れ多くも此の地天野治兵衛家に御野立あらせられ 聖蹟を永久に残させ給へりと雖も(いえども) 時代の変遷と文化の発達による中央線の開通は 此の地を過ぐる者をして絶無ならしめ 為に聖蹟…

黒野宿笠懸地蔵は、地蔵ではなく灯籠

大月市郷土資料館発行のツアーガイド資料によりますと、黒野宿の笠懸地蔵は地蔵ではなく、何と!灯籠に分類されるそうです。 「傍らに立つ説明文によると、 黒野田地区ではその由来 についてはわからないままに古くから 「笠懸地蔵」と呼 ばれていたようです…

黒野宿 笠懸地蔵

案内板 「 甲州街道 黒埜宿 笠懸地蔵 由来 往古より此の街道の路傍に分厚い笠様の物を頭に立ちつくす。小作りの珍形石造地蔵が在る。 之を黒埜宿、笠懸地蔵と呼ぶ。しかし、此の由来に就いては今も詳ならず 創建は安政二年卯5月(1855)十三代将軍徳川家定の…

稲村神社御由緒(大月市笹子町吉久保)

案内板 「 稲村神社 御由緒 古棟札 大宝山、稲村大神、稲村四所明神、(黒野田、原吉久保、側子、小形山)、稲村大明神と稱す。大月市笹子町大字吉久保一〇五七番地に在す。祭神四神 一、目常立尊 一、素戔嗚尊 一、日本武尊 一、稲田姫尊吉久保、原の氏神、嘉…

親鸞上人念佛塚の旧跡

案内板 「 親鸞上人念佛塚の旧跡 去る程に此の前方の低地が昔時、甲斐沼池としられた葦ヶ池なりしと伝へる。其池の總面積は最大時は三丁歩余り、葦ヶ窪郷の四分の一をしめてるとの説も伝へられる。 鎌倉時代、西暦一二二五年代、浄土眞宗の開祖親鸞上人が甲…

山本周五郎生誕の地

大月市観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【山本周五郎について】 人情味あふれる歴史・時代小説の巨匠『山本周五郎』は、 1903年(明治36年)に大月市初狩町で生まれました。 地元でみどう屋敷と呼ばれた長屋に住んでおりました。 周五郎の名付け親は長屋の…

重要文化財 星野家住宅

案内板 「 重要文化財 星野家住宅 籾蔵 味噌蔵 文庫蔵及び家相図 昭和五十一年五月二十日 指定 星野家は甲州街道下花咲宿(現在大月市大月町花咲) にあって、江戸時代に本陣、庄屋、問屋をつとめた旧家です。 現在の主屋は天保六年(一八三六年)に焼失した後、…

駒橋 厄王大権現 平和祈願の石と説明碑

説明碑 「昭和二十年八月十三日午前八時三十二分米軍艦載機は突如大月町を襲い山間の町民に恐怖の中で甚大な被害を与えた この時投下された爆弾の一つは桂川で爆発しその爆風は一、五トンの石をふき上げ百余米の高さに達したという 附近は国道沿いの人家密集…

千鳥姫の稚児落とし伝承

senjp.comより千鳥姫は小山田信茂の側室であったとされ、織田勢の大軍に岩殿山城を包囲されると、千鳥姫の子でまだ赤子の万生丸と、小山田信茂の2男・小山田賢一郎を連れて脱出を計画。護衛として小幡太郎と城兵が共に岩殿山城の西尾根を辿り城外に脱出したと…