紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

松尾芭蕉と相楽等躬

須賀川市内あちこちに物語ボックスというものが設置されていました。郷土の偉人を紹介するものらしく、表紙が1枚、物語が4枚、計5枚の紙芝居形式で作られていて、須賀川市公式ホームページによると、市内24ヶ所に設置されています。私が訪れた軒の栗庭園…

松尾芭蕉七泊八日の旅日記

芭蕉七泊八日の旅日記 元禄二年(一六八九)の 春、俳人、松尾芭蕉は、門人・河合曽良とともに、 江戸深川から、大垣まで 六百里(约二四〇〇キ口)に亘る「おくのほそ道」の 旅に出ました。 芭蕉四六歲、曾良四一歳のときです。 行程のほとんどが未知 の地であ…

十念寺

十念寺(浄土宗) 文禄元年(一五九ニ年)善竜上人の開山で ある。芭蕉が、「奥の細道」の 旅で須賀川に滞在しここの寺 に詣でたことで知られる。政二年須賀川の女流俳人市原 多代女によって、「風流のはじ めや奥の田植唄」の碑が建立されてある。 また、多代女…

神炊館神社 「奥の細道」碑について

「奥の細道碑」について 「宗祇戾(そうぎもどし)』(柿衛文庫蔵)は、宝暦四(一七五四)年、白河の俳人 和知風光が編集した俳句の本。挿図に松尾芭蕉の肖像と諏訪明神(神館神社)に 奉納されていた芭蕉真筆の句として 「うらみせて涼しき瀧の心哉」 に説明を加え…

須賀川 神炊館神社

案内板 「 総 鎮守 神炊館(おたきや)神社 社記 御祭神 建美依米命・建許呂命·建美名方命・八坂止売命 愛田別命・宇迦魂命(朝日稲荷神社より遷座) 祭日 元旦祭 一月一日(しめ納め一月七日) 春祭五月八日 秋祭九月第二土曜(例大祭 御鋒巴特殊神事) 日曜(渡御祭…

相楽等躬

案内板 「 相楽等躬(さがらとうきゅう) 寛永十四年(一六三七)~正德五年(一七一五) 通称伊左衛門 別号 乍憚、乍憚斎、藤躬 相楽家は、中世白河の領主、結城氏の子孫にあ たる郷士の家柄です。 等躬は、問屋業を営む豪商であり、陸奥の歌枕 や各地の俳人などの…

円谷英二生誕の地

円谷英二 1901(明治34)年-1970(昭和45)年 円谷英二(本名英一)は、当地須賀川市中町 15番地(当時西6丁目2番地) に、代々、 糀業を営む大東屋に生れる。その日は、大空 に満点の星が輝く七夕であった。小学生の時、 祖母が土蔵の2階を英二の部屋に改装してく …

須賀川市 可伸庵跡

可伸庵跡 元禄二年(一六八九)四月二十二日(陽曆六月九日)、松尾芭蕉と門人の河合曾良は、おくのほそ道の旅の途中 で、旧知の仲にあった相楽等躬を訪ねました。須賀川に は八日間滞在し、近隣の寺社仏閣を訪れ、また地元の排人たちとの俳諧を楽しみました。 …

円谷幸吉histry

TSUBURAYA KOKICHI history 円谷幸吉の歩み 1940年(昭和15年)5月13日に、父幸七、母ミツの六男、 7人兄弟の末子として、福島県須賀川市大町に生まれる。 1、呼ばれたら返事を 2.人には挨拶を 3、履き物を揃える(整理、整頓) 4、自分のことは自分でする を躾…

須賀川 芭蕉七泊八日の旅日記

芭蕉七泊八日の旅日記 元禄二年(一六八九)の 春、俳人、松尾芭蕉は、門人・河合曽良とともに、 江戸深川から、大垣まで 六百里(约二四〇〇キ口)に亘る「おくのほそ道」の 旅に出ました。 芭蕉四六歲、曾良四一歳のときです。 行程のほとんどが未知 の地であ…

一日一句 目次7

一日一句 161 https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/05/29/162506 一日一句 162 https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/05/31/013434 一日一句 163 https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/05/31/085708 一日一句 164 h…

一日一句 181

2023年9月 9/1ディズニーのホラー観る九月ファーストデイ 9/2二年越し初めて会った九月かな 9/3ヴォイトレもまた越えて行く九月かな 9/4思ひ出の夏の入院ファイルの色 9/5オフの日は映画三昧九月かな 9/6深海魚見に沼津行く初秋旅 9/7軽やかに踊れた九月の…

一日一句 180

2023年8月 8/1夏パーク水掛け祭でエキサイト 8/2冷房の部屋でお昼寝旅疲れ 8/3木曜は階段掃除酷暑かな 8/4絆にも涙映画トランスフォーマーの夏 8/5首冷やしながら清掃夏の午後 8/6夏の午後夢と絆を問ふ映画 8/7効きすぎの冷房午後の天気雨 8/8沼見つつつく…

一日一句 179

2023年7月 7/1お中元のはちみつ梅で塩分補給 7/2海風やゆっくり帰ろう薄暑の夕 7/3本格的暑さはまだこれからと梅雨晴れ間 7/4アイリッシュパブで気になる梅雨晴れ間 ウッディーとワイワイ踊る梅雨晴れ間 7/5七月や公開映画にワクワクと 7/6ピンポイントの筋…

金沢市 野蛟神社(ぬづちじんじゃ)

j-sampo.comより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 野蛟神社(ぬづちじんじゃ)は、天平3年(731)に創立と言われる古社。御祭神は高皇産靈神、猿田彦神、事代主命、野椎神。加賀郡延喜式内社野蛟神社の比定社。神社の云われについて、「当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流…

金沢市 尾崎神社

案内板 「 尾崎神社 当神社は天照大神、東照大権現(德川家康)、第三代加賀藩主前田利常を祀る。寛永二〇年 (一六四三)、東照大権現を祀ることを許された みったか 四代藩主光高が、金沢城北の丸に東照三所大権現社として建立。 徳川家葵の紋がところどころに…

加賀八家 奥村家屋敷跡

案内板 「 加賀八家 奥村家(宗家)屋敷跡 奥村家は、前田家が尾張(愛知県) 荒子城にあった頃よりの旧臣です。藩政時代は永福から栄滋まで 14代 を数え、禄高は数回の加増ののち1万7000 石を世襲しました。 加賀・能登・越中の要衝、末森城(現宝達志水町)城主…

願念寺

案内板「 松尾芭蕉。小杉一笑ゆかりの寺 願念寺 野町一丁目三の八二 蕉門の俳人・小杉一笑の菩提寺 境内に一笑塚がある。 また、元禄二年(一六八九年)『おくの細道』で来遊した松尾芭蕉が一笑の追悼 会に出席し、その死を悼み詠んだ 『つかもうごけ我泣く声…

本長寺 芭蕉句碑

案内板「 芭蕉句碑 『春もやや 気色ととのふ 月と梅』 元禄6(1693)年1月中旬、許六(注1)の江戸旅亭(井伊藩邸の 中にあった)で描いた俳画の画賛。 許六の『旅館日記』では『梅月』と題されている。この梅が紅梅 である事は『紅梅の画賛也』 とある 『続猿養』…

黒門前緑緑地 旧高峰家

案内板「 黑門前緑地〈旧高峰家·旧検事正官舎〉 この黒門前緑地は、平成七年(一九九五)まで、金沢地方検察庁検事 正官舎の敷地であったが、平成十三年(二〇〇一)、官舎の一部とその 土塀を廻らす屋敷構えを保存するとともに、金沢で育ち、アドレナリンや タ…

金沢くらしの博物館と金沢市立紫錦台中学校

金沢くらしの博物館ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 【三尖塔校舎(国重要文化財「旧石川県第二中学校本館」)】 博物館の建物は、明治32年 (1899) に石川県第二中学校の校舎として建てられました。入り組んだ屋根、玄関の車寄せ、上げ下げ窓、胴蛇腹、ランプ…

国史跡辰巳用水

案内板「辰巳用水は、江戸時代初めに金沢城の水利改善を主な目的として築造された、延長約11kmに及ぶ 用水です。築造にあたっては、小松の町人であった 板屋兵四郎が登用されたと伝えられています。 上流部は岩盤をくりぬいた隧道となっており、 よこ 壁面に…

金沢市 上野八幡神社

案内板 「 上野八幡神社 Uenohachimanjinja Shrine 約四百年間の神仏混淆の時代、医王寺と呼ばれていた。 天正年間(一五七三~九二)、能州石動山天平寺の僧・ 空山が後の加賀藩初代藩主・前田利家に内通し、石動 山の麓に建立したと伝えられる。 天正十二年(…

一日一句 178

2023年6月 6/1ダンス練お互ひ見せ合ふ六月や 6/2六月の嵐傘ごと飛ばされそう 6/3朝嵐帰りは爽やか初夏の晴れ 6/4しっかりと歯みがき虫歯予防デー 6/5開くと寒く閉めると暑い初夏の窓 6/6三姫でミッションクリア六月や 6/7ウッディーと追ひ駆けっこする薄暑…

陸奥国分寺薬師堂

宮城県ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 指定文化財〈重要文化財〉陸奥国分寺薬師堂 陸奥国分寺薬師堂 重要文化財(建造物) 伊達政宗が泉州(大阪府)の工匠駿河守宗次等を招いて再建したもので、慶長12年(1607)に竣工した。屋根は入母屋造、本瓦葺。法5間…

陸奥国分寺跡 芭蕉句碑

案内板「 芭蕉句碑 (仙台市指定有形文化財 昭和五十一年七月一日指定) 『あやめ草足に結ばん草鞋の緒』とある。芭蕉は奥の細道の旅の途中、元禄二年(一六八九)五月五日から七日の三日間仙台に滞在したが、その時芭蕉を案内し、翌八日離仙の朝、『紺の染緒つ…

史跡 陸奥国分寺・国分尼寺跡

案内板「国分寺・国分尼寺の創建は、天平13年(741)に、聖武天皇が仏教によって国を治めていくために、60ヶ国ほどあった国ごとに七重塔を一基造り、僧寺と尼寺を設けるように詔(みことのり)を発したことに始まります?陸奥国分寺跡は大正11年(1922)に、陸奥国…

つつじが岡天満宮

案内板「 正宗が育んだ伊達な文化 つゝじが岡及び天神の御社 『つつじが岡』の一画に位置し、『天神の御社』と『おくのほそ道』 に記された榴岡天満宮の境内には、寛文7年(1667年)建立の 唐門、樹齢が約300年を超えるとされるシダレザクラ・シラカシの 老樹…

青葉山公園 大手門跡

案内板「 仙台城大手門は素木造(しらきづくり)二階建、屋根は入母屋造(いりもやづくり)瓦葺である。桁行が 65尺(約19.7m)、側面の梁間(はりま)が22尺3寸(約6.8m)、高さは約12.5m全国的にも最大級の城門であった。正面冠木(かぶき)に菊と桐の金箔押(きんぱく…

青葉山公園 二の丸跡

案内板「二の丸は寛永15年 (1638) 二代藩主伊達忠宗によって造営された。二の丸の御殿(ごてん)部分への入口は詰門 (つめのもん) と呼ばれ、瓦葺(かわらぶき)で平屋造(ひらやづくり)ではあるが、棟の両端に鯱瓦(しゃちがわら)が堂々たる門であった。この門を…