卯右衛門茶屋と文七茶屋
所在地 矢吹町五本松
大和内七曲り地内は、明治の初めごろまで「富士見峠」と称され、現在も旧道が残っている。峠をこえて泉崎寄りに卯右衛門茶屋と文七茶屋の二つの茶屋が軒を連ね、旅人の往来の休み処として繁盛したと伝えられている。
これらの茶屋は明治中頃、鉄道の開通によって街道がさびれ、店じまいを余儀な くされるまで代々引きつがれてきた。
卯右衛門茶屋は別名「馬宿」ともいわれ、大縄を使い数十尺の深井戸から汲みあげるおいしい水が名物であった。現在もその井戸はここに残っている。
文七茶屋は馬宿に対して「丑宿」と呼ばれ、この茶屋からの見晴らしがすばらし く「文七茶屋に腰かけて、遙か釜池眺むれば、鶴と亀とが舞い遊ぶ」という松坂 (祝い唄)を歌ったと古老に聞いた事もあった。
昭和60年1月