紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

雲巌寺 石碑

「 当国雲岸(岩)寺のおくに、佛頂和尚山居跡有。- たて横の五尺にたらぬ草の庵 むすぶもくやし 雨なかりせば -と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝむで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて…

芭蕉の道 案内板

案内板「 松尾芭蕉と曽良は、元禄二年四月(陽暦五月二十二日 一六八九年)に浄法寺図書(俳号桃雪)に招かれた。『おくのほそ道』によれば『浄法寺館代浄法寺何がしの方に音信る(おとづる)。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語つゞけて云々』とある。一族をあげて…

俳聖松尾芭蕉と黒羽

案内板「 俳聖松尾芭蕉と黒羽 元禄2年(1689年)に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、門人の曽良とともに『奥の細道』行脚の途中、黒羽の地を訪れ、旅程中もっとも長い14日間逗留し、知人や史跡を訪ね、つぎにむかう『みちのく』への準備期間をここで過ごした。宿…

黒羽 常念寺 案内板

常念寺山門手前左側の案内板 「松尾芭蕉は元禄二年四月十六日(陽暦六月三日一六八九年)に余瀬をたって殺生石に向った。曽良の『旅日記』には、「十六日天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及 昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ…

鹿子畑翠桃邸跡の歌仙

「奈須余瀬 翠桃を尋ねて」 発句 秣おふ人を枝折の夏野哉 芭蕉 脇句 青き覆盆子(を)こぼす椎の葉 翠桃 第三 村雨に市のかりやを吹とりて 曾良 四 町中を行川音の月 はせを 五 箸鷹を手に居ながら夕涼 翠挑 六 秋草ゑがく帷子はたそ ソラ 七 ものいへば扇子…

松尾芭蕉と余瀬地区

案内板「 松尾芭蕉と余瀬地区 元禄二年(1689)に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、弟子の曽良とともに『おくのほそ道』の旅の途中、黒羽の地を訪れた。ここ旅程最も長い14日間滞在し、知人や多くの史跡を訪ね、次に向かう「みちのく」の地への準備期間として過…

那須神社(金丸八幡宮)

那須神社 大田原市観光協会ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 仁徳天皇(313~399年)時代の創立で、さらに延暦年中(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられています。その後、那須氏の崇敬篤く、那須氏没落の後は黒羽…

沢の馬市碑

沢の馬市碑 案内板「 沢の馬市碑 この地域は、箒川沿岸の採草地に恵まれ、 村の共有地の草刈 劇場もあって、馬産地としての先駆者も居たところであった。 東北線が開通した翌年の明治20年、当地方で有名な伯楽、 中 村の村上喜平氏と福島県の泉撰右エ門氏は…