2023-01-01から1年間の記事一覧
案内板「 市指定文化財 黒羽領境界石(史跡) 管理者 浄泉寺 黒羽藩主大関増業(ますなり)は、自藩と他藩との境界を明らかにするために、文化十~十一念仏(一八一三~一四)何箇所かに境界石をてた。ちょうど増業が大阪城勤務の時で、碑は大阪で造られ、船で運ば…
案内板「 芭蕉の句碑 芭蕉が元禄二年(一六八九年)三月(旧暦)『奥の細道』行に旅立ち、黒羽より高久に向かう道すがら四月十六日、手綱をとる馬子の願いにより作り与えた句を碑にしたものである。 野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす この句は、どの辺りで作ら…
案内板「 清川地蔵尊 管理者 鍋掛行政区 清川地蔵の建立は、延宝七年(一六七九)で、本市の石仏地蔵の中では古いものである。 当時の宿場の生活は決して楽ではないと思われるが、人々の信仰の強さを物語る大きな地蔵である。 お地蔵様は、庶民のあらゆる願い…
案内板「 市指定文化財 鍋掛の一里塚(史跡) 管理者 鍋掛神社 江戸時代、全国の主要な街道に日本橋を起点として一理毎にその目印として築かれた塚で、ここ鍋掛愛宕峠の塚は奥州街道四十一番目のもので、江戸より四十一里(約百六十一キロメートル)の距離を示す…
案内板「 葛籠石・八幡太郎義家愛馬蹄跡 (つづらいし・はちまんたろうよしいえあいばひづめあと) (伝説の地) 管理者 樋沢葛籠会 ここ、葛籠石・八幡太郎義家愛馬蹄跡の巨石にまつわる言い伝えは、樋沢村に古くから残っている。 後三年の役(一〇八三~一〇八…
案内板「 樋沢の不動明王像(お不動様) この像は寄木造りという二枚以上の木を組み合わせるという技法で作製されたもので、背面に明曆二年(一六五六年)に作製されたと記されている。同じく背面に下部には制作者の名前らしき文字があるが、現在、判読すること…
案内板 「 八溝県立自然公園 鏡が池 三浦介義明が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに伸びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩…
案内板「鎌倉第三代の征夷大将軍、右大臣源実朝は承久元年正月(一二一九)拝賀の礼を鶴岡八幡宮に行い、帰途公暁(くぎょう)に殺され、二十八歳にして劇的な死を遂げる。後世の人々は将軍右大臣実朝としてよりも、悲劇の歌人実朝として不朽の名を称える。…
案内板「 篠原玉藻稲荷神社 こゝは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。 宝前の社殿改建記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある。 建久四年(一一九三)源頼朝が那須游猟のときこの社に参詣したという…
案内板「 近衛帝の久寿年中、勅を奉じて三浦介義明・千葉介常胤(つねたね)・上総介広常が、玉藻前が狐に化けて逃げて那須野に隠れ棲んでいるのを退治するために犬を狐に見たてゝ追い射る武技を行った跡という。俗に『犬追物跡(いぬおふもののあと)』または『…
那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に雨降り日暮る。農夫一家に一夜を借りて明ればまた野中を行。そのに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、農夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。い…
那須の黒羽という所に知人あれば」とて松尾芭蕉は「おくの細道」行脚の途次黒羽を訪れた。元禄二年四月三日のことである。途中那須野路にさしかかった折、草刈る男の馬を借りた。その跡慕う小姫を曽良は-かさねとは八重撫子の名成るべし-と呼んでいる。翁…
石碑の内容 「 黒羽の舘代淨法寺何がしの方に音信る。思いかけぬあるじの悦び、日夜語りつゞけて、其弟桃翠など云が、朝夕勤とぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ、日をふるまゝに、日とひ郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわ…
案内板「松尾芭蕉は元禄二年四月五日(陽暦五月二十三日 一六八九年)に雲巌寺にある仏頂和尚の山居の跡をみようと、人々をいざない山道を賑やかにうち興じ、遠近の景を賞でながら山門をくぐった。『おくのほそ道』に『かの跡はいづくのほどにやと後の山によぢ…
「 当国雲岸(岩)寺のおくに、佛頂和尚山居跡有。- たて横の五尺にたらぬ草の庵 むすぶもくやし 雨なかりせば -と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝむで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて…
案内板「 松尾芭蕉と曽良は、元禄二年四月(陽暦五月二十二日 一六八九年)に浄法寺図書(俳号桃雪)に招かれた。『おくのほそ道』によれば『浄法寺館代浄法寺何がしの方に音信る(おとづる)。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語つゞけて云々』とある。一族をあげて…
案内板「 俳聖松尾芭蕉と黒羽 元禄2年(1689年)に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、門人の曽良とともに『奥の細道』行脚の途中、黒羽の地を訪れ、旅程中もっとも長い14日間逗留し、知人や史跡を訪ね、つぎにむかう『みちのく』への準備期間をここで過ごした。宿…
常念寺山門手前左側の案内板 「松尾芭蕉は元禄二年四月十六日(陽暦六月三日一六八九年)に余瀬をたって殺生石に向った。曽良の『旅日記』には、「十六日天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及 昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ…
「奈須余瀬 翠桃を尋ねて」 発句 秣おふ人を枝折の夏野哉 芭蕉 脇句 青き覆盆子(を)こぼす椎の葉 翠桃 第三 村雨に市のかりやを吹とりて 曾良 四 町中を行川音の月 はせを 五 箸鷹を手に居ながら夕涼 翠挑 六 秋草ゑがく帷子はたそ ソラ 七 ものいへば扇子…
案内板「 松尾芭蕉と余瀬地区 元禄二年(1689)に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、弟子の曽良とともに『おくのほそ道』の旅の途中、黒羽の地を訪れた。ここ旅程最も長い14日間滞在し、知人や多くの史跡を訪ね、次に向かう「みちのく」の地への準備期間として過…
那須神社 大田原市観光協会ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 仁徳天皇(313~399年)時代の創立で、さらに延暦年中(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられています。その後、那須氏の崇敬篤く、那須氏没落の後は黒羽…
沢の馬市碑 案内板「 沢の馬市碑 この地域は、箒川沿岸の採草地に恵まれ、 村の共有地の草刈 劇場もあって、馬産地としての先駆者も居たところであった。 東北線が開通した翌年の明治20年、当地方で有名な伯楽、 中 村の村上喜平氏と福島県の泉撰右エ門氏は…
【平家物語「扇の的」の原文】 ころは二月十八日の酉の刻ばかりの事なるに、折節北風激しくて、磯(いそ)打つ波も高かりけり。舟は、揺り上げ揺り据ゑ漂へば、扇も串に定まらずひらめいたり。沖には平家、舟を一面に並べて見物す。陸(くが)には源氏、くつばみ…
2023年5月 5/1オフ日には映画にスパに五月一日 5/2仕事終へ回転寿司へ五月二日 5/3朝仕事午後は映画憲法記念日 5/4薫風や美容院帰りの襟足に 5/5「銀河鉄道の父」を観るこどもの日 5/6気分は黄金週終了立夏かな 5/7スマホで動画観る黄金週最終日 5/8換気扇…
2023年4月 4/1花曇りと言ふには晴れて帰り道 4/2春の日や映画の中では雪が降る 4/3大量の落ち葉掃く朝春疾風 4/4ダンジョンは仲間が大事春映画 4/5高架から残花見下ろす車窓かな 4/6散る花や振り付け進むダンスレッスン 4/7仕事終へ映画見終はり春嵐 4/8曇…
2023年3月 3/1流行は半長両用春の服 3/2花粉症悪化で辛い春の夜 3/3エブエブでカオスへの旅春映画 苺・桃のモンブランで雛まつり 3/4前方(まえ)から声かけて振り向く春の朝 3/5素晴らしいダンスに涙春映画 3/6沈丁の香に思ひ出がふつふつと 3/7ドラえもんツ…
2023年2月 2/1久々にキティとハイタッチ寒の午後 2/2寒の午後繋げて踊る基礎稽古 2/3節分やアイマックスで鬼滅観る 2/4飲み食ひの後カットリンゴを買ひ帰る 2/5生きる意味問はれる映画春浅し 2/6時計屋を兄に聞かれる春淡し 2/7春浅し昼は長女とディナーは…
2023年1月 1/1令和五年元日からの初出勤 仕事してスパでのんびり元日や 1/2吉例の三番叟観る二日かな 1/3三日朝初びっくりの連続で 1/4新年もツリー聳へるUSJ 新年から夜行バスに焦るラプソディー 1/5あちこちで御慶が響く五日かな 1/6新春に灰原哀の物語 1…
2022年12月 12/1バタバタと映画も行けず映画の日 12/2トライアングル「ライム」本番師走かな 12/3十二月「ライム」二日目朝練習 12/4十二月ライム千秋楽の笑顔かな 12/5夕の雨刻一刻と冷えて行く 12/6秋公開の映画やっと観る十二月 12/7ヒーローか破壊の神か…
2022年11月 11/1秋深し潮の香りの露天風呂 11/2久々の飲み会秋のイタリアン 11/3停電で電車止まった文化の日 11/4母と子と家族で掴んだ「サクラサク」 11/5整体は良いか痛いか秋の夜 11/6バリ島でトロイの木馬作戦秋深し 11/7仕事帰りインフルエンザ予防接種…