紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

一日一句 190

2024年6月

 

6/1
六月や無限列車にまたも泣く

6/2
回復に向け米の飯食べる六月二日

6/3
押し二人に出会ふ六月三日

6/4
病み上がりのリハビリで海へ梅雨入り前

6/5
鉢植へへの衝動抑へ梅雨入り前

6/6
病後の出勤ハイになる薄暑かな

6/7
美しい水色と出会ふ初夏の午後

6/8
病後の回復進まぬ薄暑かな

 

6/9
初夏の午後心が揺れるぼっち・ざ・ろっく

6/10
休養が最優先の初夏の夜

6/11
オフの日に映画を二本梅雨入り前

6/12
半月の謎解ける六月十二日

6/13
リハビリでゆっくりレッスン初夏の夜

6/14
窓開けて初夏の風受けランチする

6/15
大汗で目が痛い運搬研修

6/16
IF(イフ)たちと心が燃える初夏の冒険

6/17
いつもよりゴミ出し多き薄暑かな

6/18
六月や雨漏りに困る帰り道

6/19
美容院の予約を延期薄暑かな

6/20
靴下を脱いでくつろぐ薄暑かな

6/21
体力はまだ回復せず梅雨の入り

6/22
柚子の香と皆に言はれる梅雨晴れ間

6/23
美容院で気になる色合ひ梅雨の午後

6/24
早朝に掃き掃除をする梅雨晴れ間

6/25
試み温まる映画を二本梅雨晴れ間

6/26
劣化した箒に驚く梅雨晴れ間

6/27
梅雨曇り稽古恒例背中ポンポン

6/28
物置に入って作業梅雨の午後

6/29
妄想の筋肉隆々梅雨曇り

6/30
秘密めく愛の映画や梅雨の日に

 

一日一句 191 に続く

 
 
一日一句 目次 1
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/02/07/092704

一日一句 目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/05/29/195328

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一日一句 189

2024年5月

5/1
五月とは思へぬ雨の冷たさや

5/2
寒くとも裏起毛避ける五月朝

5/3
光満ち眩しき世界憲法記念日

5/4
オフの朝湘南ファンタジーのかおりに酔ひて

5/5
母と飲む新茶優しくまろやかで

5/6
コンテナを引く黄金週最終日

5/7
若葉雨ジェリーフィッシュの浮き沈み

5/8
評判のお菓子と新茶でおやつする

5/9
基礎訓練厳しき五月の寒い夜

5/10
初夏のツボファントムハイヴ家の使用人

5/11
第一回ミュージカル練習五月かな

5/12
五月に封切り猿の惑星キングダム

5/13
早朝は五月の嵐の中を行く

5/14
三姫の笑顔ユニバのバラ園で

5/15
友情は固きトラペジウム初夏映画

5/16
振り付けの細かい指導初夏の夜

5/17
予備箱はフェイクの空箱薄暑かな

5/18
我が町の歴史を踊る初夏の夕

5/19
ボブ・マーリー愛の映画薄暑かな

 

5/20

若葉雨対策をして仕事する

5/21
新緑や秘境と呼ばれる碧き池

5/22
自撮りする乙女は薔薇の精なるや

5/23
初夏の夕引き合ふ力のストレッチ

5/24
久々に職場仲間と飲む五月

5/25
初夏の夕笑顔あふれるレッスン日

5/26
後章で謎を回収初夏映画

5/27
五月末遂にコロナでダウンする

5/28
発熱の一日(ひとひ)の悪夢五月末

5/29
診療所梯子で検査薄暑かな

5/30
熱の夜の遠い昔の遠花火

5/31
自宅にて療養楽しむ五月末

 

一日一句 190 に続く

https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/07/02/053437

一日一句 目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/05/29/195328 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一日一句 188

2024年4月


4/1
にんたまと走るエイプリルフールの朝

4/2
朝蕾も見えず夕には花満開

4/3
気まぐれに散歩してみる花の雨

4/4
夜桜になるまで歩く帰り道

4/5
花冷えや飲み会の企画盛り上がる

4/6
初めての仕事にとまどふ花曇り

4/7
満開も花より映画の日曜日

4/8
遠目でも桜満開帰り道

7/9
黒塀がドット柄となる花の雨

7/10
オフ返上代打で健闘春爛漫

4/11
曲変へて踊る実験春の宵

4/12
帰り道予期せず舞い来る花の雨

4/13
オーディションもありて四月のワークショップ

4/14
真実は春にときめく五稜星(みちしるべ)

4/15
春爛漫職場仲間と初飲み会

4/16
迫力の波に感動鳴門の春

4/17
愛ゆえに少女は大人へ春映画

4/18
初めての運搬研修四月かな

4/19
コロナ禍前の旅思ひ出す四月かな

4/20
お出掛けと聞かれたワンピ春の午後

4/21
美しき花散る映画陰陽師0(ゼロ)

4/22
花曇り昔話の帰り道

4/23
レジェンドの消防車と撮る春の午後

4/24
春寒し世にも奇妙な異人たち

4/25
新作の全体像見える春の夜

4/26
まだ少し鼻むずむずする四月末

4/27
自撮り棒初めて使ふ黄金週

4/28
黄金週まずは映画を二本観る

4/29
思ったより仕事さくさく昭和の日

4/30
新緑や乙字ヶ滝の芭蕉

奥の道コロロコロロと蛙鳴く

タンポポの綿毛の大きさ奥の道

コンビニのブリートー温き暮れの春

井戸端会議聞く老鴬やおくの道

リンゴの花白く咲く道芭蕉の道

うぐいすと芭蕉と歩くおくのみち

芭蕉訪ね鯉のぼり游ぐ乙字ヶ滝

 

 

一日一句 189 に続く

 https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/06/02/173012
 
一日一句 目次 1
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/02/07/092704

一日一句 目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/05/29/195328

 

一日一句 187

2024年3月

 

 

 

3/1
ひなあられ分け合ふ職場の休み時間

 

3/2
美青年が「エゴい」と言ふCM弥生かな

3/3
涙する映画を二本雛の日や

3/4
夕刻から花粉症酷くなる三月四日

3/5
啓蟄や煉獄さんと「うまい!うまい!」

3/6
三月の水曜に二本映画観る

3/7
尻締めて片足に乗る春稽古

3/8
弥生週末今夜は自分を甘やかす

3/9
十周年ファンキーさんと歌ふ春一番

3/10
衝撃の映画を二本弥生かな

3/11
夜旅立つ十三年目の三・一一

3/12
ウグイスを聞きつつ渡る須賀川

雪残る芭蕉の道にウルトラマン

雪残る幸吉の墓を再訪す

鴬や口一文字の芭蕉

雪残る十念寺で探す芭蕉

3/13
春の旅帰りのバスでウルトラパン

3/14
振り付けも進んで楽しい春の宵

3/15
春めくやカラーコピーを拡大し

3/16
朝六時が明るくなり弥生半ば

3/17
見つけられ芭蕉の句春の郡山

3/18
春の花粉少ないとはいへ目が辛い

3/19
三時間映画を二本春のオフ

3/20
春分の日おやつに買ふ桜大福

3/21
マンツーマンレッスン頑張る春の夕

3/22
シャッターを潜って掃除春の朝

3/23
思ひ出が蘇る傘寒戻り

3/24
ウユニ湖に憧れる映画寒戻り

3/25
春の夜届いた娘への贈り物

娘へのプレゼント届く菜種梅雨

3/26
SFと絆の映画菜種梅雨

二ヵ月遅れで誕生祝ひ菜種梅雨

3/27
日差しより風が冷たき弥生末

3/28
柔らかく動くレッスン春の宵

3/29
春宵や動画見ながらバスの夜

3/30
黄水仙ちらほら咲きておくの道

鴬に道教えられ関山へ

一斉におおいぬのふぐり笑ふ朝

関山下り鴬鳴くおくのみち

積む薪もそろそろ春の数に減り

花ひとつが大きなタンポポ咲いてをり

日本画の道歩むよな春の道

春疾風翻弄されておくの道

強風やかすかな鴬おくの道

いにしへを偲ぶ春風うたた寝の森

3/31
鴬に送られ白河後にする

白河を発つ鴬に見送られ

菜の花を目印に曲がるおくの道

春風や碧き瞳の水たたへ

鴬や奥州道の松並木

 

一日一句 188に続く

 https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/05/11/075244
 
一日一句 目次 1
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/02/07/092704

 

一日一句 目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2023/05/29/195328

 

 

乙字ヶ滝 芭蕉句碑 案内板

 

案内板
「 
元禄二年(西暦一六八九年)陰曆四月二十九日(陽曆六月十六日)

『おくのほそ道』行脚の途中、七日間滞在した須賀川の相楽等躬宅を馬で発った芭蕉と弟子の曽良は、折からの五月雨で増水していた阿武隈川を渡ってこの 地を訪れ、


五月雨の滝降りうづむ水(み)かさ哉(かな)

  五月雨は滝降り埋むみかさ哉(曽良書留)

の句を詠み、下流の「八流(はちる)の滝」から守山(村)を経て『おくのほそ道』の旅を続けました。

ロータリークラブ創立一○○周年を記念し、松尾芭蕉翁をより一層顕彰するため、ここ乙字ヶ滝(石河の滝)に芭蕉曽良の石像を設置しました。

  平成十七年二月

    須賀川ロータリークラブ

    須賀川南部地区町内会協議会 」

 

 

 

 

 

口を開けて子等 (郡山市田村町岩作)

案内板
「 口を開けて子等 守山あたり

昭和四十年代、俳人加藤楸邨奥の細道をたどる旅に出ている。

その様子を『奥の細道吟行』に次のように記している。

私どもも七月七日守山に向かう。新暦で七夕を祭る家もある とみえて子供たちが竹を担いで通る。

芭蕉の通った旧道を岩作あたりでカメラに収める。 野茨は実になったものが多いが枝先の方はまだ白い花を留 めている。旧道は青田の中をうねって、道ぞいに野茨をちり ばめているのである。右の方はるかにそびえているのが 雲水嶺であろう。霊山にこもる前、北畠氏のいた山だという。 守山の宿の入り口が杉の木立の間から見えてくる。 田から昼餉にもどる人々に逢う。

岩作の辺り

このあと楸邨は芭蕉の跡をたどり、大元明王(田村神社) へと向かっている。大元明王付近での太った老人と痩せた 老人との会話が面白い。そして「口をあけて子等」の最後の 部分をこう結んでいる。

野茨どこかに匂はせ口を開けて子等 楸邨

     平成三十年七月七日

     郡山市田村町観光協会

平成三十年度公益信託うつくしま基金助成事業 」

 

 

 

 

 

 

 

 

乙字ヶ滝 滝見不動堂由来

 

案内板
「  瀧見不動堂由来 
     本尊不動明王藝大師御作
       御丈二尺

 今は昔空海上人巡化して此地に来り稀有の霊だ此○りとして錫を畄められ(留められ)衆生済度し玉うこと年あり 
遂に手づから不動明王の御像を彫刻なし御堂に安置し玉う時に大同三年四月八日なりとす名付けて瀧見山不動寺と称す。
 其の後榊原忠次自河城主となるに及び御堂の修繕あり是より後代々の領主に於て修復を営まる慶安二年 榊原氏播磨の国姫路に移り本田忠義之に代るや御供田とて田壹反歩畑及山林の租を免ぜらる。
 宝曆 十四甲申年六月朔日従四位下松平越中守源朝臣定賢之を復補し秦る火に文久元年二月吉祥日 阿部播磨守正耆朝臣之を修復し奉る 次に文久元年辛酉十一月吉祥日阿部播磨守正耆朝臣之を修復し奉る 慶応年間に至り廃寺となる。
是より先白河城主之年々、初鱒を献するの例あり。領主参拝せらるゝの時は別当里庄等途に迎えて歓待するの例たりき(竜崎区保○瀧見不動堂由来より)

   昭和五十三年六月

        竜崎氏子之建    」

 

 

須賀川一里塚

 

案内板
「 国指定史跡

   須賀川一里塚 

指定年月日  昭和十一年九月三日

        文部省告示第三一四号 

所在地 須賀川市一里坦,高久田境 
所有者 国・柳沼久忠

 一里塚は、今から約四百年前の江戸時代に、当時の将軍徳川家康の命により全国の 主要街道を改修した際、江戸日本橋を基点 として一里ごとに築かれたものです。 
 須賀川の一里塚は、旧陸羽街道に残る数 少ないもので江戸日本橋から五十九番目の ものとされており、二基(東側径十五メー トル×十ニメートル、西側径十五メートル ×十メートル) 相対し塚型が良く保存され ています。
 また、当時塚の上には復が植えられてい たと伝えられ周囲の風景の中にあって、街 道を行き来する人々の距離の目安や休憩の 場として、利用されていたと考えられます。 
 塚のある旧国道の両側には、かつて見事 な松並木がありましたが、現在は数本を残 すだけとなっています。

昭和六十三年五月一日  須賀川市教育委員会

 

 

 

 

 

旧水戸街道常夜燈

案内板
「  矢吹町指定
   重要有形文化財

    旧水戸街道常夜燈

  指 定  平成25年2月15日

  所在地  矢吹町新町39番地

  所有者  ふ矢吹町

  占有者  根本精樹

 この常夜燈は、文化8年(1811)に奥州街道中畑新田宿より水戸街道に 分岐する道路上に近隣住民によって建立されたものである。刻字は摩滅してい るが、その痕跡で知ることができる。

 江戸期になると、街道が整備され宿場も整えられ、その運営は地元住民の協力で行なわれていた。街道筋の常夜燈は、宿の入口や交差点などの路上に作ら れ、夜間絶やすことなく火を燈し旅の安全と道標として旅人の心を慰め続けた。 

 電灯の発明、道路改修などにより石造常夜燈は姿を消した。現存する常夜燈 は珍しい存在となっている。当常夜燈は幾多の変遷を経て住民に守られて原地点に近い私有地に改修移築したものである。

    平成27年3月

        矢吹町教育委員会

        矢吹町文化財保護審議会

 

 

 

 

大和内の天道念仏踊り

 

案内板

「  矢吹町指定民族文化財

 

   大和内の天道念仏踊り

        所在地 大和内地区

        所有者 大和内地区

        大和久の天童念仏踊り保存会

太陽の暖かい恵みと豊作を祈願して天道念仏踊りが、かっ て各地で盛んに行われ、とくに白河藩内は藩主の奨励もあっ て多かったようである。しかし、太平洋戦争後は激減した。 昭和54年9月、20数年ぶりに「大和内の天道念仏踊り」 は復活され、毎年6月14日と6月23日鎮守日吉神社境内 で行われる。踊り手は、青年男子で太鼓、笛の囃子につれて 輪になって踊る。はじめ囃子だけの前奏があってから「きみ ょうちょうらい」 「かみがたくだり」 「さよのなかやま」の 三曲を素手または手拭を用いて踊る。以前は輪の中央に「お 棚」という神棚を設けたようで、この点では白河市関辺のも のと似ている。歌詞は西郷村上羽太のものと似ている。ただ 大和内では各曲の間に「はねっこ踊り」を入れているところ が特色といえる。現在、天童念仏踊りは大和内のものを入れ て、県内に3件しかなく貴重である。

 

    昭和56年5月1日指定

       矢吹町教育委員会

       矢吹町文化財保護審議会 」

 

 

 

 

卯右衛門茶屋と文七茶屋

 

案内板
「  矢吹町文化財

    卯右衛門茶屋と文七茶屋

     所在地  矢吹町五本松

 大和内七曲り地内は、明治の初めごろまで「富士見峠」と称され、現在も旧道が残っている。峠をこえて泉崎寄りに卯右衛門茶屋と文七茶屋の二つの茶屋が軒を連ね、旅人の往来の休み処として繁盛したと伝えられている。

これらの茶屋は明治中頃、鉄道の開通によって街道がさびれ、店じまいを余儀な くされるまで代々引きつがれてきた。

 卯右衛門茶屋は別名「馬宿」ともいわれ、大縄を使い数十尺の深井戸から汲みあげるおいしい水が名物であった。現在もその井戸はここに残っている。

 文七茶屋は馬宿に対して「丑宿」と呼ばれ、この茶屋からの見晴らしがすばらし く「文七茶屋に腰かけて、遙か釜池眺むれば、鶴と亀とが舞い遊ぶ」という松坂 (祝い唄)を歌ったと古老に聞いた事もあった。

 昭和60年1月

       矢吹町教育委員会

       矢吹町文化財保護審議会  」

 

 

 

五本松の松並木

案内板
「   矢吹町指定 天然記念物

  五本松の松並木 
    所在地 矢吹町五本松

 寛永12年(1635) 三代将軍徳川家光時代に、参勤交代が制度化し、全国街道筋に松並木を植えさせた。

 大名あるいは、旅人の往来はさかんになり、松並木は夏は陽をさけ、冬は風をよけて旅人の便をはかり、旅情をなぐさめた。

 矢吹町の松並木は、松平定信の時、領内の街道に松苗 2,300本 を植えたのが始まりであるといわれている。

 現在五本松にある松並木は明治18年(1885) ころ補植した ものである。

   昭和52年9月7日 町指定

   昭和49年3月22日 自然環境保全地区指定

 平成元年3月25日

        矢吹町教育委員会 
        矢吹町文化財保護審議会 」

 

 

 

 

 

泉崎村 踏瀬旧国道松並木

 

案内板

「  泉崎村指定天然記念物

   踏瀬旧国道松並木

 この道は、奥州街道(旧国道) として江戸と陸奥を結ぶ主要道として 使用されていました。

 大名が江戸に出向く参勤交代の際や旅人がここを往来する際の日除け ・風除けとして、白河藩松平定信が領内の街道沿いに2300本の松苗を 植樹したのが始まりであると伝えられています。

 江戸時代には踏瀬宿(泉崎村側)から大和久宿 (矢吹町側)に至る中ほどにちょうど一里塚が設け られていたとみられ、泉崎村側には現在も一里壇の 地名が残っています。松並木は泉崎村から矢吹町 へと連なりますが、矢吹町では『五本松の松並木』 として知られています。

 現在の松並木は明治18年(西暦1885年)頃に 補植されたものです。

  所在地:泉崎村大字踏瀬字赤沢山地内

  指定日:昭和51年6月22日

      平成18年10月

           泉崎村     」

 

 

 

 

 

 

武光地蔵(首切り地蔵)

 

案内板
「 首切り地蔵(武光地蔵)の由来

 江戸時代に造られた石地蔵で、むかし この付近に住んでいた長者の墓標ともいわれている。
 ある時、仙台伊達藩の家臣で赤胴三五平という者
が、主君の命を受けて江戸に向かう途中、夜中にここを通ると一人の美人に出逢った。赤胴は、この女を妖怪だと思い、持っていた武光(竹光)で斬りかかったという。
 その後、江戸から帰郷する途中、再び この場所を通ると石地蔵の首がころげ落 ちていたと伝えられている。
 昭和四〇年代までは、この地蔵の首は 落ちたままだったがいつの間にか首がつなげられ、付近の住民から首切り地蔵と呼ばれるようになった。 
 小田川村では身堂地蔵菩薩として崇められており、大同五年(西暦八百十年)に建立されたとも伝えられている。 

   平成二十五年五月吉日

    太田川老人会·泉崎村教育委員会 」

 

 

 

 

 

白河市 宗祇戻し

 

案内板


「   芭蕉の句碑

早苗にも 我色くろき 日数かな  はせを翁

 松尾芭蕉(一六四四~一六九四)が、「おくのほそ道」紀行において、白河を越えて詠んだ句である。葉の色が若々しい早苗の時期でありながら、自らは旅立ち から日数を経て、日焼けで黒くなっているという様子を詠んでいる。 
 この句は、芭蕉に同行した曽良の「俳諧書留」に記されている。
 芭蕉の百五十回忌である天保十四年(一八四三)に、乙丸(白河藩士太幡六郎)ら、白河の俳人によって建立された。


   宗祇(そうぎ)戻しの碑

  室町時代連歌師、宗祇(一四二二~一五〇二)にまつわる伝承の碑である。

 文明十三年(一四八一)、白河の領主結城政朝(ゆつきまさとも)は一日一万句の連歌興行を催し た。参加しようとした宗祇はここで会った女性に興行の終了を告げられ、ここか ら引き返した。その際、戯れに宗祇が女性の持つ綿を売るかと聞くと「阿武隈の川瀬に住める鮎にこそうるかと言えるわたはありけれ」と、「売るか」と「胰(うるか)、(鮎のはらわた)、「綿」と「腸」を掛けた歌で返された。宗祇は、奥州では庶民 でも即興でこのような歌を詠めることに感心したという。 
 また、芭蕉の門人、曽良の日記では別の内容が伝わる。連歌興行で句が難しく、続く句が三日出なかったのを、白河にいた宗祇が聞きつけ会場に向かうと、この 地に現れた女性が自分が解決したと言い姿を消し、宗祇もこの場を去ったという ものである。道路改修によってこの場所が忘れられることを惜しみ、昭和九年 (一九三四)に白河川柳能因会によって建てられた。

     白河観光物産協会   」