2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧
高山彦九郎皇居望拝之像 案内板 「 高山彦九郎 皇居望拝之像江戸時代、ここ三条大橋は東海道五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入口であった。 今ここにある銅像は、高山彦九郎正之(1747年~1793年)の姿を写したものである。 高山彦九郎は、…
粟田口刑場跡 案内板 「 粟田口刑場跡この地は、東国から都への交通の要衝であり、粟田口に位置しています。ここは、東海道の最後の難所日岡峠から続く高みで、粟田口峠と呼ばれていました。そのために、幾度となく掘り下げが行われてきました。 元文元(1736…
車石広場 車石モニュメント説明板「平成九年十月の京都市営地下鉄東西線の開業に伴い廃線となった京阪電鉄京津線の軌道敷を利用し三条通りの四車線化及び歩道の整備事業を実施した。 本事業の完成を記念して、三条通りの舗石として敷設されてきた車石を利用…
諸羽(もろは)神社 京都Naviより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓天孫降臨(てんそんこうりん)の神話の中で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の左右に従った天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るところから、兩羽(もろは)大明神と称したという。貞観…
車石案内板 案内板 「この車石案内板は 旧東海道をこよなく愛されている皆様に大津歴史博物館・車石研究会のご意見を参考に、お役に立てればと当家にて作成致しました。 昔この近辺には茶店や水車のある米屋が点在していました。 時代の経過で風景は変わりま…
大津菓子調達所㈲鶴里堂(かくりどう) 滋賀・びわ湖観光情報より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓鶴里堂(かくりどう)という屋号は、昔、比叡山より望んだ大津の里が細長く弓形(ゆみなり)で、鶴が翼ひろげてまさに飛び立とうとする姿に似ていたことから「鶴の里」とよばれていたこと…
露国皇太子遭難地の碑 案内板 「 露国皇太子遭難地の碑明治24年(1891)帝政ロシアのニコライ皇太子に津田三蔵巡費がサーベルで切りつけた 『大津事件』の発端となった場所。 当時ロシアは強大国で、日本は近代国家として発足したばかりで弱小国のため、国民を…
義仲寺 案内板 「 国指定史跡 義仲寺境内 (大津市馬場一丁目) 義仲寺(ぎちゅうじ)の名は、源義仲を葬った塚のあるところからきていますが、室町時代末に、佐々木六角(ろっかく)氏が建立したとの伝えがあります。 門を入ると左奥に、俳聖松尾芭蕉の墓と並んで…
石坐(いわい)神社 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓創祀年代は不詳。社伝によると、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその4代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのが起源とされる。壬申の乱以降は表向きは八大竜王…
大場の桜 案内板 「 この山桜は、樹齢約二百年の古木です。 旧東海道筋にあり毎年、美しい花を咲かせています。 旧東海道と芦浦街道との分岐点付近にあるこの木は、昔から現在まで人々の様子を見てきた古木です。この桜は、江戸時代には参勤交代で、みやびや…
道祖神の由来 案内板 「 道祖神の由来 この祠には、向かって右側『道祖神』、左側に『大日如来石仏』をお祀りしています。 前の通路は、旧東海道で古来より交通の要所として賑やかな日々だったと思われます。 平成28年12月に祠を新調し、それまで奥田忠雄宅…
大江千里(ちりんさん) 案内板 「 大江の千里(ちりんさん)大江の地を荘園として持っていたと伝えられる『大江の千里』は平安時代前期の歌人で、三十六歌仙のひとりとして、また、百人一首の第二十三首の歌人として著名な人である。 その奥方がこの地に住まい…
野路萩の玉川] 案内板 「 『 野路萩の玉川』 『野路 』は平安朝から鎌倉時代にかけて東海道の宿駅 として栄えた所である。 源平争乱の時代ここ野路は、數多くの武将の宿陣となり時には火に包まれ若い命が消え去った地とも伝えられる。 ここ萩の玉川 は多くの…
野路の玉川 案内板 「 古き宿駅 野路駅 の名残り野路の地名はすでに平安時代末期にみえ、『平家物語 』をはじめ、多くの紀行文にもその名をみせている。鎌倉時代には、源頼朝 が上洛に際し、野路の地での逗留がみえるなど、宿駅として武将の戦略拠点ともなり…
平清宗胴塚 案内板 「 平清宗 (一一七〇 ― 一一八五)平安後期の公卿、平宗盛の長男。母は兵部権大輔平時宗の娘。後白河上皇の寵愛をうけ、三才で元服して寿永二年には正三位待従右衛門督であった。 源平の合戦により、一門と都落ち、文治元年檀ノ浦の戦いで…
矢倉立場 案内板 「 矢倉立場 東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿南 に続く矢倉村 。立場 とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた名で、矢倉村には草津名物の『うばがもち』を売る店があった。 この地に、その…
立木神社境内にある石造道標 案内板 「 市指定文化財 石造道標一基24.0cm × 17.5cm × 213.0cm 江戸時代 (延宝 八年 = 一六八〇年) 指定年月日 昭和五十七年十二月六日『刻銘』 (南面) 伊勢大神宮 延宝八庚申年 (カーン) 七ヶ年中履行月参詣願成就所 みぎハた…
立木神社 LINEトラベルJP 旅行ガイドより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓立木神社が創建されたのは第48代の称徳天皇の頃、767年といいますから今からおよそ千二百年以上もの歴史を持っていることになります。茨城県の常陸の国にある鹿島神宮から白鹿に乗り旅に出られた武甕槌命(…
草津宿 と政所 案内板 「 草津宿 と政所 草津宿は東海道五十三次の宿場の中でも大宿で水陸交通の要所でもあることから関所的な役割を担ってきました。 草津宿でこの付近一帯は、政治的な中心地として、宿場における旅に必要な馬や人足の用意をしたり、宿の管…
石造石標 案内板 「 石造道標 江戸時代後期 草津市蔵・うばがもちやコレクション (正面) 『右 東海道』 (右面) 『天明七年五月吉日』江戸時代に江戸と京都・大阪を結んだ『東海道』(当館前の道)。もともと建てられていた場所はわかりませんが、曲がり角や分…
吉川芳樹園店舗兼主屋 案内板 「 吉川芳樹園店舗兼主屋 登録有形文化財 建築年代 江戸末期 平入り正面上部の虫籠窓風の意匠や漆喰(しっくい)で塗り込められ出桁(でげた)などが町屋らしい雰囲気をかもし出しており、鬼瓦には文政13年(1830)の銘が見られます。…
石造道標 案内板 「 草津市指定文化財(有形民俗文化財) 石造道標『右東海道いせみち 左中仙道美のぢ』一基 江戸時代 昭和四十八年十月十五日指定この道標は、東海道と中山道が分岐合流する草津宿の要所に文化十三年(一八一六)三月に建てられた火袋付の道標…
草津追分道標 案内板 「 道標 市指定文化財 道標『右東海道いせみち』 『左中仙道美のじ」』一基ここはかっての日本五街道の最幹線で東海道と中仙道との分岐点である。 トンネルのできるまではこの上の川を越せば中仙道へ、右へ曲がれば東海道伊勢路へ行けた…
草津川の渡し場 案内板 「 草津川の渡し場 Kusatsu River Crossing Points草津川 は土砂の混入と堤防の決壊を繰り返すうちに、周囲の土地より川底が高くなった『天井川 』です。旧草津川 の成り立ち Origins of the Old Kusatsu Riverこの草津川跡地公園 は…
伊砂砂神社 案内板 「 重要文化財 伊砂砂神社本殿 草津市渋川一丁目一間社流造、檜皮葺 室町時代伊砂砂神社の草創は明らかでないが、名称は明治二年からのもので、古くは天大将軍社と称された。 建物は棟札により応仁二年(一四六八)に建立され、元禄四年(…
草津歴史街道 案内板 案内板 「 草津歴史街道 中山道中山道は木曽路とも呼ばれ、日本の脊梁中部山岳地帯を貫く街道で、五街道の中でも東海道に次ぐ幹線路であった。 その里程は、江戸日本橋を基点とし、上毛高崎宿を経由、碓氷峠に至り、浅間・蓼科山麓の信…
灯心草舎 中村畳店 Gift Netより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓中村畳店いつも畳を感じていたい滋賀県草津市にある、90年余り続く老舗の畳店です。 二代目の店主当主中村明雄は屋号を「灯心草舎」と名付け、本物の畳がもつ温もりと、そこから生まれる日本文化 を大切に伝えてい…