紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

旧水戸街道常夜燈

案内板「 矢吹町指定 重要有形文化財 旧水戸街道常夜燈 指 定 平成25年2月15日 所在地 矢吹町新町39番地 所有者 ふ矢吹町 占有者 根本精樹 この常夜燈は、文化8年(1811)に奥州街道中畑新田宿より水戸街道に 分岐する道路上に近隣住民によって建立されたもの…

大和内の天道念仏踊り

案内板 「 矢吹町指定民族文化財 大和内の天道念仏踊り 所在地 大和内地区 所有者 大和内地区 大和久の天童念仏踊り保存会 太陽の暖かい恵みと豊作を祈願して天道念仏踊りが、かっ て各地で盛んに行われ、とくに白河藩内は藩主の奨励もあっ て多かったようで…

卯右衛門茶屋と文七茶屋

案内板「 矢吹町文化財 卯右衛門茶屋と文七茶屋 所在地 矢吹町五本松 大和内七曲り地内は、明治の初めごろまで「富士見峠」と称され、現在も旧道が残っている。峠をこえて泉崎寄りに卯右衛門茶屋と文七茶屋の二つの茶屋が軒を連ね、旅人の往来の休み処として…

五本松の松並木

案内板「 矢吹町指定 天然記念物 五本松の松並木 所在地 矢吹町五本松 寛永12年(1635) 三代将軍徳川家光時代に、参勤交代が制度化し、全国街道筋に松並木を植えさせた。 大名あるいは、旅人の往来はさかんになり、松並木は夏は陽をさけ、冬は風をよけて旅人…

泉崎村 踏瀬旧国道松並木

案内板 「 泉崎村指定天然記念物 踏瀬旧国道松並木 この道は、奥州街道(旧国道) として江戸と陸奥を結ぶ主要道として 使用されていました。 大名が江戸に出向く参勤交代の際や旅人がここを往来する際の日除け ・風除けとして、白河藩主松平定信が領内の街道…

武光地蔵(首切り地蔵)

案内板「 首切り地蔵(武光地蔵)の由来 江戸時代に造られた石地蔵で、むかし この付近に住んでいた長者の墓標ともいわれている。 ある時、仙台伊達藩の家臣で赤胴三五平という者が、主君の命を受けて江戸に向かう途中、夜中にここを通ると一人の美人に出逢っ…

白河市 宗祇戻し

案内板 「 芭蕉の句碑 早苗にも 我色くろき 日数かな はせを翁 松尾芭蕉(一六四四~一六九四)が、「おくのほそ道」紀行において、白河を越えて詠んだ句である。葉の色が若々しい早苗の時期でありながら、自らは旅立ち から日数を経て、日焼けで黒くなっている…

白河市 うたたねの森

案内板 「 転寝(うたたね)の森 江戸時代後期の文化二年(一八〇五)に完成した白河の地誌『白河風土記』によれば、源義家が 陸奥に下った際、林の下でしばらく休み、うたた 寝をしたことからこの名がついたと伝える。 また、『八雲集』にある清少納言曽弥の歌…

白河 鹿嶋神社

白河鹿嶋神社ホームページより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 〈御祭神〉 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 〈御由緒〉 宝亀年間(770~780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、白河…

白川城

Wikipediaより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 白川城は、中世、白河荘を拠点として陸奥国南部を支配した白河結城氏歴代の居城跡であり[1]、1189年(文治5年)、結城朝光は源頼朝より白川の地を与えられた。その孫、結城祐広は、1289年頃にこの地に移住して、白川城を居城と…

関山満願寺境内の碑 「おくのほそ道の山」

「 奥のほそ道の山 「漂泊の思ひやまず」、「春立る霞の空に白河の関越えんとそぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて取もの手につかず」弟子の曽良を伴って、元禄二年(一八六九年)奥州へ旅立った芭蕉は、四月二〇日陽暦なら六月七日、白…

関山満願寺の銅鐘

案内板 「 国認定重要美術品《工芸品) 銅鐘(どうしょう) 認定年月日 昭和19年7月6日 所在地 白河市関辺関山 大きさ 総高 135cm 口径 106cm 満願寺(真言宗) に伝来した銅鐘で、寛文4年(1664) 10月、当時の白河藩主本多忠平(藩主在職=1662~1681) が寄進した…