紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

武光地蔵(首切り地蔵)

 

案内板
「 首切り地蔵(武光地蔵)の由来

 江戸時代に造られた石地蔵で、むかし この付近に住んでいた長者の墓標ともいわれている。
 ある時、仙台伊達藩の家臣で赤胴三五平という者
が、主君の命を受けて江戸に向かう途中、夜中にここを通ると一人の美人に出逢った。赤胴は、この女を妖怪だと思い、持っていた武光(竹光)で斬りかかったという。
 その後、江戸から帰郷する途中、再び この場所を通ると石地蔵の首がころげ落 ちていたと伝えられている。
 昭和四〇年代までは、この地蔵の首は 落ちたままだったがいつの間にか首がつなげられ、付近の住民から首切り地蔵と呼ばれるようになった。 
 小田川村では身堂地蔵菩薩として崇められており、大同五年(西暦八百十年)に建立されたとも伝えられている。 

   平成二十五年五月吉日

    太田川老人会·泉崎村教育委員会 」