案内板
「 首切り地蔵(武光地蔵)の由来
江戸時代に造られた石地蔵で、むかし この付近に住んでいた長者の墓標ともいわれている。
ある時、仙台伊達藩の家臣で赤胴三五平という者
が、主君の命を受けて江戸に向かう途中、夜中にここを通ると一人の美人に出逢った。赤胴は、この女を妖怪だと思い、持っていた武光(竹光)で斬りかかったという。
その後、江戸から帰郷する途中、再び この場所を通ると石地蔵の首がころげ落 ちていたと伝えられている。
昭和四〇年代までは、この地蔵の首は 落ちたままだったがいつの間にか首がつなげられ、付近の住民から首切り地蔵と呼ばれるようになった。
小田川村では身堂地蔵菩薩として崇められており、大同五年(西暦八百十年)に建立されたとも伝えられている。
平成二十五年五月吉日