紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-05から1日間の記事一覧

中山道69次資料館

中山道69次資料館ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 69次の道 (庭の散策)資料館内で日本橋から始まって69次の中山道の旅を楽しむことができますが、館外の庭(69次の道) を歩くことにより、中山道の旅を擬似体験できます。 看板などを見ながら、約15分です。途…

追分 シャーロック・ホームズ像

案内板 「 シャーロック・ホームズ像野外彫刻 シャーロック・ホームズは、およそ100年前に約40年間にわたって英国のロンドンを中心として活躍した不滅の名探偵です。 親友ジョン・H・ワトソンと共に住んだベイカー街221Bには、今なお世界中から事件解決依頼…

追分 分か去れ道標

追分 分か去れ道標 案内板 「 分去れの道標 (わかされのみちしるべ)【右、従是北国海道 左、従是中仙道】 中山道と北国街道分岐点に位置する『分去れ』は、今も賑わったありし日の面影をとどめている。 右は北国街道姥捨山の『田毎の月』で知られる更科へ…

桝形の茶屋つがるや

案内板 「 史跡追分桝形の茶屋 寛永十二年徳川家光 の代、諸大名の参勤交代 の制度が実施され、ここを往来する諸侯のため、宿内には問屋、本陣、脇本陣を設置し、宿の西入口、この辺に桝形の道と土手(高さ約二・五メートル)を築いて宿内の警備取締りをした…

堀辰雄が愛した石仏と泉洞寺

堀辰雄が愛した半伽思椎像のある泉洞寺 石碑文 「 浅間山 香華院 泉洞禅寺 宗派は道元禅師開山の福井永平寺、瑩山禅師開山の横浜鶴見總持寺を両大本山とする曹洞宗に属し、本尊は聖観世音菩薩 慶長三年(一五九八)三月 上州(群馬県長野原町)常林寺五世心庵宗…

追分宿高札場跡

案内板 「 高札場跡 追分宿の高札場は,問屋前の路中央にあった。法度,掟書きなどを記した。 また,さらし首,重罪人の罪状を記し,高く掲げた板札を高札という。 寛永十年(1633)の古文書によると,広さ九尺横一間,高さ三尺の芝土手 を築き,高札場の柱…

堀辰雄文学記念館と本陣跡

堀辰雄文学記念館 信州ミュージアムガイドより↓↓↓↓↓↓↓↓↓軽井沢ゆかりの小説家 書斎や書庫に感じる生活の匂い 軽井沢を愛した文人 堀辰雄【ほりたつお】(1904~1953)は昭和初期に活躍した日本を代表する小説家のひとりです。大正12(1923)年、辰雄が19歳のとき…

追分宿 浅間神社

軽井沢・佐久ポータルサイト「Slow-style.com」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓軽井沢 追分 神社 浅間神社室町時代に建立された神社で、軽井沢町内最古の木造建築です。長い年月の間に、幾度となく浅間山の噴火の脅威にさらされてきた社の様子は、境内に残る松尾芭蕉の句碑「…

追分の一里塚跡

案内板 「 追分の一里塚 慶長九年徳川家康の命により江戸を起点とし、主要街道に一里ごとに塚を築造させた。この中山道には一里ごとに街道の左右に塚がつくられ旅人往来の道標として重要な使命を果たしたのであった。 今はこの街道の塚が大部分崩壊してしま…

遠近宮、西長倉村道路元標、黄壁布屋 土屋作右衛門家

遠近(おちこち)宮 案内板 「 遠近宮(おちこちのみや)について この地域一帯を遠近(おちこち)の里と言い、浅間山をご神体とする浅間様(あさまさん)が祭られていました。 在原業平(ありわらのなりひら)が『信濃なる朝間の岳に立つけぶり、をちこち人の見やはと…

女街道入口

案内板 「 女街道入口 江戸時代に『入り鉄砲』『出女』といって当時恐れられていた武器鉄砲の動きや江戸屋敷に住まわせていた諸大名の奥方は人質的意義をもっていたので女人の出入りは厳重に取り締まった。したがって女人は関所を避けて裏街道を通るようにな…

中軽井沢駅・くつかけテラス

中軽井沢駅 くつかけテラス 軽井沢町ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓平成25年4月1日にオープンしました交流施設は、町がしなの鉄道・中軽井沢駅前に建設。地域交流施設の愛称は、一帯の古い地名「沓掛(くつかけ)」にちなんだ「くつかけテラス」 沓掛は、「軽井…

旧近衛文麿別荘・市村記念館・旧雨宮邸 ・雨宮の池

旧近衛文麿別荘・市村記念館・旧雨宮邸 長野県情報【E-CURE】より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓市村記念館 旧近衛文麿別荘|後陽成天皇の12世孫で元内閣総理大臣の別荘|軽井沢町長倉近衛文麿首相が大正15年にアメリカ屋建築の別荘を第1号別荘として購入した。 その後、近衛…

軽井沢宿の本陣・脇本陣

軽井沢宿の本陣・脇本陣 本陣があったチャーチストリート 脇本陣跡の喫茶店 「cocodoco軽井沢」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓江戸時代の軽井沢は、中山道の一宿として栄えます。中山道はご存知の通り、東海、甲州、日光、中山、奥州街道の江戸5街道の一つで、六十九次ある…

軽井沢宿 つるや旅館の歴史

御宿つるや旅館ホームページより、↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓つるや旅館の歴史 つるや旅館は、江戸時代初期に中山道の宿場町軽井沢宿の休泊茶屋、旅籠鶴屋として開業しました。 明治に入り、宣教師たちの軽井沢への往来が始まると、つるやは旅館業に転じ、日本風の建物のま…

旧軽井沢 芭蕉句碑

案内板 「 芭蕉句碑 芭蕉翁馬をさへ ながむる雪の あした哉 松尾芭蕉(一六四四~一六九四)『野ざらし紀行』(甲子吟行)中の一句。前書きに『旅人をみる』とある。雪のふりしきる朝方、往来を眺めていると、多くの旅人がさまざまな風をして通って行く。人…

軽井沢ショー記念礼拝堂

避暑地軽井沢発祥の地日本聖公会 軽井沢ショー記念礼拝堂案内板 「 カナダ生まれの英国国教会(聖公会)宣教師A・C・ショー師が家族を伴い軽井沢で避暑生活をはじめたのは一八八六年(明治一九年)である。師は毎夏この地を訪れ、静思、休養、親交の場とする…

軽井沢宿 二手橋・飯盛女

軽井沢宿 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓軽井沢宿(かるいさわしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十八番目の宿場。概要 現在の長野県北佐久郡軽井沢町の軽井沢駅北側一帯。一般に軽井沢と呼ばれる場所とは2~3キロ離れており、旧軽井沢と呼ばれるあ…