遠近(おちこち)宮
案内板
「 遠近宮(おちこちのみや)について
この地域一帯を遠近(おちこち)の里と言い、浅間山をご神体とする浅間様(あさまさん)が祭られていました。
在原業平(ありわらのなりひら)が『信濃なる朝間の岳に立つけぶり、をちこち人の見やはとがめぬ』と詠んだ歌にちなんで、『在原業平遠近宮』と名前が改められました。
祭神は岩長姫命(いわながひめのみこと)で創立年代は不明です。
安産の神として信仰が厚く、戦前は北陸の人をはじめ多くの人々の参拝がありました。
借宿昔語りの会 」
8:50 西長倉村道路元標
案内板
「 軽井沢町 西長倉村道路元標
道路元標 は大正八年(1919)に旧道路法施行令が公布され、道路の起点・終点を示す目的で各市町村に一個ずつ設置された、約三〇センチ角、高さ約六〇センチの柱です。
軽井沢町には東長倉村道路元標、西長倉村道路元標が設置されました。
西長倉村道路元標は現在の天皇道の入口付近、「布屋」前の道路脇に置かれましたが、車の往来が増えたことで場所を移されており、地域住民によって保護、保存されてきました。その後も数度の移設を経て、現在は元の場所から北東へ約二メートル移動しています。
この道路元標の向かいに、素晴らしい家があります。
黄壁布屋 土屋作右衛門家
案内板
「 中山道 黄壁布屋 土屋作右衛門家
当泉氏系の作右衛門家は、郷土系の甚兵衛家と共に名主を務める家でした。
寛文10年(1670)に11代作右衛門によって土屋氏本館からこの地に新築して移り住みました。
当家は「総領、大庄屋、名主、こくや」などとよば れておりましたが、本当の屋号は「ぬのや」です。
中山道の代表的な米穀問屋であり、水車を持ち、造り酒屋、質屋、ちゅうき場(中馬業)立場茶屋などを営んでおり、江戸末には寺子屋も開いていました。
寛文10年に新築されたこの家は、その後焼失しましたがすぐに再建され、数度の改修を経て現在に至っております。
2012年に軽井沢町から景観特別賞をいただきました。
23代 土屋 正治 」