紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

大宝村大字綣元標について

大宝村大字綣元標について
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案内板
「 大宝村大字綣元標について

元標(げんぴょう)は道路元標ともいい、道路路線の起点や終点などを表示する標識であります。
各市町村に一つづつ置かれるもので、石材その他の耐久性材料を用いて、里程や市町村名が記載されているものです。
この元標は『大宝村大字綣元標』と刻まれることから、道路元標と云えますが、同時に大津市元標や栗太郡役所などからの里程をも示しており、里程標を兼ねたものだといえます。
官公庁として大正15年(1926)に廃止された栗太郡役所、及ぴ昭和29年(1954)に移転した草津警察署からの里程を示すのはもちろん、京都伏見の第十六師団指令部や、大津駐屯の歩兵第九連隊(大正14=1925年に伏見へ移転)といった陸軍官庁からの里程も明らかにしており、建立時の時代背景をよく示しています。

<読み方と意昧>

 (正面)
大津市元標を距てること、四里十八町三十間五尺。(約17,730m)
栗太郡役所を距てること、二十四町三十一間四尺。(約2,700m)
草津警察署を距てること、二十九町二十五間。(約3,200m)
大宝村大字綣元標。

 (向って右側面)
第十六師団司令部最迫より、九里八丁(町)十二間五尺(36,200m)
大津第九連隊最迫より、四里三十町十三間五尺(約19,000m)

 (向って左側面)
東は大宝村大字野尻より、十一町六間三尺、(約1,200m)
南は大宝村大字苅原より、八町四十間一尺、(約950m)
西は大宝村大字北中小路より、五町二十一間三尺、(約590m)
北は物部村大字二町より、四町五十八間三尺、(約540m)

 (裏面)
大正六年二月十五日建設、奇附・西田哲太郎 」