佛眼寺の歴史
案内板
「 佛眼寺の歴史
当佛眼寺は、もと大寶神社内にあって、古名大寶山神應院神宮寺と称して、天台宗に属していました。 應永十九年(西暦一四一二年)五月神運再建本尊は阿弥陀如来とし、佛眼寺と改称して七世珠阿上人となりました。 應永二十七年(一四二○年)三月時宗四條派本山金連寺七代淨阿上人代に末寺と定められる。 元亀年間(一五七○年)に兵火に遭い、天保六年(一八三五年)再び火災にあって、明治十四年に再建したもので、その後百三十余年を経て平成十四年四月に本堂並びに地蔵堂を新築再建いたしました。 御本尊は秘物の立像で脇段安置の阿弥陀如来座像は栗東市文化財の指定を受けております。 また、地蔵尊(六体地蔵)は霊験あらたかな『眼そ良くするお地蔵さん』として、昔から地域の多くの皆様から親しまれ、お詣りいただいております。 鐘楼堂の建設は平成十九年十二月に地域の安寧と幸福招来の為、『平和と幸福の鐘』として再建しました。 総本山は、神奈川県藤沢市『藤沢山無量光院清浄光寺』で、宗祖は一遍上人であります。
平成二十四年仲秋
時宗 大寳山 佛眼寺 」