紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-14から1日間の記事一覧

宮ノ越 一里塚跡

案内板 「 宮越 一里塚 慶長六年(1601)、江戸幕府は江戸と各地を結ぶ五街道を整備し、宿を設置した。街道には日本橋を起点にし、一里(約四km)ことに塚(直径約九m、高さ約二m)を作らせた。一里塚 の土には榎・松・杉などが植えられた。街道の松並木と区…

宮ノ越宿 井戸の由来

案内板 「 井戸の由来この井戸は、江戸末期(一八六六年頃)町内の飲用水を得るために掘られ昭和初期まで近郷随一の名水として永く人々の生活をささえてきました。その後水道の普及により廃止されました。井戸の石積は当時のままの姿を残して降ります(道径…

宮ノ越宿 田中邸

案内板 「 宮ノ越宿 田中邸■田中家(旧田中邸)の概要 中山道宮ノ越宿の田中家は、宿絵図に旅籠屋田中忠右衛門と記された旅籠であったが、明治十六年(1883)の上町から下町まで九十戸を焼失する大火で焼失した。 現在の建物は、大火時に搬出された建具類と、隣…

宮ノ越本陣

案内板 「宮ノ越宿 本陣 Miyanokosijuku Honjin宮ノ越宿は、慶長六年(一六〇一)徳川幕府の中山道整備の時、藪原宿と福島宿の間が遠いので、江戸から三十六番目の宿 として新設され、明治三年(一八七〇) の宿駅制度廃止まで続いた。 天保十四年(一八四三)の本…

木曽三川 三十六景の一 伝説の残る巴が淵

案内板 「 木曽三川 三十六景の一 伝説の残る巴が淵 歴史が漂うこの渕は、巴状にうずまき、巴が渕と名付けられた。 伝説には、この渕に龍神が住み、化身して権の守中原兼遠 の娘として生れ、名を巴御前 と云った。義仲と戦場にはせた麗将巴御前の武勇は、痛…

謡曲「巴」と巴淵

案内板 「 謡曲『巴』と巴淵 謡曲『巴』は修羅物の中でも女性を主人公とした唯一の作品です。木曽の僧が滋賀の粟津原に来ると、一人の里女が社の前で泣いている。事情を聞くと『木曽義仲 が討ち死にした場所で、弔って欲しい』という。僧が読経していると、…

薮原一里塚跡

案内板 「 中山道一里塚 一里塚は江戸時代 主要街道に江戸日本橋を起点として一里(約四粁米)ごとに設けた里程の塚である。 築造は慶長九年(西暦一六〇四)とされ道路の西側五間四方に高さ一丈(約三米)ほどの土を丸く盛り上げその上に榎や松を植えた。 村内の…

薮原高札場跡

案内板 「 藪原宿高札場跡 江戸期になると、幕府中心の幕藩体制が確立した。その情報伝達方法として『高札場』が、都市・宿場・在郷等に設けられました。 初期には法度や掟書きなど老中交替の都度高札として出された。正徳年間以降(1711~)変更のないのはそ…

防火高塀跡

案内板 「 防火高塀跡 元禄八年七月(1695)藪原宿のほとんど全部が焼失する大火があった。その後、防火対策として宿再建の際各戸一間につき一寸の割合で提供し合って上横水と下横水(現在の二又)の二箇所に四ツ辻の広小路を作った。 文化年間にはさらに中心…

飛騨街道追分(分岐点)

案内板 「 飛騨街道追分(分岐点) 藪原は中山道の宿駅として発達した。 この場所には十王堂(薬師堂)があって、奈川を経て野麦峠・飛騨高山に通ずる飛騨街道(奈川道)の追分だった。 左手の細い道が旧奈川道で、小木曽地域を抜けると美濃と信濃の国境であったこ…

尾州御鷹匠役所跡

案内板 「 尾州御鷹匠役所跡 はじめ尾州御鷹匠役所は妻籠宿にあったが、伊奈川にあった鷹の飼育場も統合して享保一五年、ここ藪原に移された。 この役所は明治四年に廃止されるまで存続したが、土地の人々が『おたかじょ』と呼んでいるこの場所がその跡地で…

天降社

木祖村blogより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓木祖村史跡 木祖村天降社薮原宿の北端にある。境内には石碑と祠があり、祠は拝殿神明造りである。境内に石碑があり「天降太神・津島太神・蚕玉太神」と刻まれている。大正4年の建立。↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 木曽観光サイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【 天…

ヒメギフチョウを守ろう

案内板 「 おねがい木祖村のヒメギフチョウは、村の天然記念物として保護しています。ヒメギフチョウ及びウスバサイシン、吸蜜植物のカタクリ等 採らないでください。 (天然記念物は文化財であり、採取すると刑罰法令に触れる場合があります。) 木祖村教育委…

鳥居峠案内板

案内板 「 鳥居峠 Toriitoge Pass 鳥居峠は、木祖村と旧楢川村(塩尻市)の境にある海抜一一九七メートルの峻嶺で、木曽川と信濃川上流の奈良井川の分水嶺をなしている。 峠路の開通は歴史が古く、和銅年間に官道『吉蘇路』として開かれた。このころ峠は『懸坂…

鳥居峠一里塚跡

案内板 「 鳥居峠 一里塚 鳥居峠は標高一一九七メートル、木曽川と奈良井川の分水嶺である。江戸時代の五街道の一つ、中山道の宿場町である奈良井宿と藪原(やぶはら)宿の境をなし、旅人には難所として知られていた。 戦国時代に、木曽義元が松本の小笠原氏と…

鳥居峠 菊池寛「恩讐の彼方に」

看板 「 菊池寛『恩讐の彼方に』鳥居峠 『恩讐の彼方に』の鳥居峠での場面は、静かな中に一瞬凄絶を極める そして ここから遠く青の洞門へと舞台は移ってゆく。 この鳥居峠には作品として最も重要な動機が設定されているのであるが 思えば、その動機の背景を…