紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-20から1日間の記事一覧

御嶽宿わいわい館

御嶽宿わいわい館 御嶽宿わいわい館ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓わいわい館とは What's Wai-Wai kan御嵩駅から徒歩で30秒の中山道沿いに位置するわいわい館は、宿場を訪れる旅人をおもてなしする観光おもてなし施設です。無料の休憩所のほか、観光情報の提供…

中山道ぎふ17宿御嶽宿案内板

中山道ぎふ17宿御嶽宿案内板 案内板 「 御嶽宿 中山道四十九番目の宿場となる御嶽(みたけ)宿は、大寺山願興寺(おおてらさんがんこうじ)の門前町として栄え、慶長七年(一六〇二年)、中山道の宿場のなかでもいち早く整備されると、人や物、情報や文化が往来し…

中山道みたけ館

中山道みたけ館「ふらっと旅ぎふ」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓中山道みたけ館1階が図書館、2階が郷土館の複合施設。平成8年3月、御嵩町の情報文化の発信基地として開館しました。 江戸時代、中山道の宿場町「御嶽宿」として栄えた一角にあり、中山道に関する資料や文献、…

和泉式部廟所

和泉式部廟所 案内板 「 和泉式部廟所和泉式部(いずみしきぶ)は、平安時代を代表する三大女流文学者の一人といわれ、和歌をこよなく愛し数多くの歌を残した一方で、恋多き女性としても知られています。 波乱に富んだ人生を歩んだ彼女は、心の趣くままに東山…

牛の鼻欠け坂

牛の鼻欠け坂 案内板 「 歴史の道 中山道 牛の鼻欠け坂 (うしのはなかけざか) 『牛坊 牛坊 どこで鼻かかいた 西洞の坂で かかいた』という言葉が残るように、ここ西洞坂 は牛の鼻欠け坂とも呼ばれ、荷物を背に登ってくる牛の鼻がすれて欠けてしまうほどの…

耳神社

耳神社 案内板 「 耳神社 御嵩町西洞 全国的に見ても珍しい耳の病気にご利益があるといわれる神社です。平癒の願をかけ、お供えしてある錐(きり)を一本かりて耳にあてます。 病気が全快したらその人の年の数だけ錐をお供えしました。奉納する錐は本物でも竹…

キリシタン遺跡

七御前 マリア像 案内板 「 七御前とキリシタン信仰 御嵩町 謡坂 『七御前祉、謡坂村にある、あるいは古き五輪塔 、あるいは古樹あり、しかれども其所の由、知れず』と宝暦六年(1756)に尾張藩士松平君山 が編纂した『濃陽志略 』に記されたように、仏教の…

謡坂石畳

謡坂石畳 案内板 「 歴史の道 中山道 謡坂石畳 (うとうざかいしだたみ)謡坂の地名の由来は、このあたりの上り坂がとても急なため、旅人たちが自ら歌を唄い苦しさを紛らしたことから、『うたうさか 』と呼ばれていたのが次第に転じ、『うとうざか=謡坂』に…

十本木茶屋跡

十本木茶屋跡 案内板 「 十本木茶屋 跡 謡坂 一里塚 のすぐ近くにあって、『新撰美濃志 』にも十『本木茶屋は、木曽路 通りの休み茶屋なり。数十株の松樹立ちたる故、かく名づくといふ』 と記されている。 西方からは急坂を登りつめた所にあって、ここで汗を…

安藤広重・『木曽海道六拾九次之内 御嶽』モデルの地

安藤広重・『木曽海道六拾九次之内 御嶽』モデルの地 江戸時代、浮世絵の世界で名を馳せた人物に安藤広重(1797~1857)がいました。その作風は、情緒性を高め静の中に動を表現する独特の手法で風景画に新境地を開きました。代表作に『東海道五拾三…

一里塚(謡坂十本木)

一里塚(謡坂十本木) 案内板 「 一里塚(謡坂十本木)慶長九年二月、徳川幕府は東海道・中山道・北陸道に江戸日本橋を基準として、道の両側に五間四方(約一六メートルほど)の塚を築造させました。これが一里塚です。 一里塚は、一般的に一里ごとに榎、一〇里…

十本木立場

十本木立場 案内板 「 十本木立場(じゅっぽんぎたてば) 宝暦5年(1756)刊の『岐蘇路安見絵図(きそじやすみえず)』にも記載があるこの十本木立場は、もともと人夫が杖を立て、駕籠や荷物をおろして休憩したところから次第に茶屋などが設けられ、旅人の休憩所と…

一呑清水

一呑清水 案内板 「 一呑清水(ひとのみのしみず) 中山道を旅する人々にとって、一呑清水は喉の渇きを潤し、旅の疲れを癒す憩いの場所でした。 江戸時代末期、将軍家降嫁のために江戸へ向かった皇女和宮は、道中この清水を賞味したところ大変気に入り、のちの…

唄清水

唄清水 案内板 「 唄清水 年中絶えることなくわきでる清水は昔時中山道を上り下りする旅人に疲れと渇きををいやしていたであろう。 この碑は嘉永7年(1854年)千村源征重臣が建立。 『馬子唄の響きに 浪たつ清水かな』 五歩 」 五歩というのはこの句を詠んだ方…

御殿場

御殿場 案内板 「 歴史の道 中山道 御殿場(ごてんば) 文久元年(一八六一)、皇女和宮の行列が中山道を下向し、十四代将軍徳川家茂(いえもち)公のところへ輿入(こしいれ)れしました。その際、一行が休憩する御殿が造られたことから、ここを御殿場と呼ぶように…

馬の水飲み場

馬の水飲み場 案内板 「 馬の水飲み場ここは物見山峠 といい、道路の両側に 計五軒の茶屋があり、十三峠 の前後の この地であれば往来の馬もさぞのどが 渇いたであろう。 存分のみなさいと北側に三ケ所の水飲 み場が設けてあった。 東海自然歩道 」

山内嘉助屋敷跡

山内嘉助屋敷跡 「日本歴史街道 美濃十七宿 中山道散策ガイド」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓江戸時代、酒造業を営んだ山内家の屋敷跡。藤上坂の途中に立派な石垣があり、往時の姿を伝えています。 中山道を通行する諸大名の休憩場所として、また旅する人々を泊めたとも伝…

鴨ノ巣一里塚

鴨ノ巣一里塚 案内板 「 鴨ノ巣一里塚江戸93里、京へ41里という道標の中 山道鴨/巣一里塚です。 一里塚は道の両 側に一対づつ葉かれましたが、ここの場合地形上北側の塚が16m東方にずらされているのが特徴です。ここからは鈴鹿、伊吹や北アルプスの山々が一…

秋葉坂の三尊石窟

秋葉坂の三尊石窟 案内板 「 歴史の道 中山道 秋葉坂の三尊石窟 (あきばさかのさんぞんせっくつ) 細久手宿 と御嶽宿 の間は三里(約十一、八km)。細久手宿から中山道を西へ、平岩の辻から西の坂道を登ると三室に分かれた石窟があります。 右の石室に祀ら…

陸軍福島安正馬水池

陸軍福島安正馬水池 案内板 「 〔陸軍大将福島安正 馬水池〕福島大将、陸軍々人、旅行家 、長野県 松本出身。 日露戦争 の折、満州軍参謀 として出征す。明治十四年、陸軍大将となる。 一八九二年(明治二十五年)情報収業のため シベリア大陸 を単騎横断 し…

九万九千日観音(細久手坂の穴観音)

九万九千日観音(細久手坂の穴観音) 細久手宿大黒屋ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓西坂の穴観音は、寛政13年(1801)建立の一面六臂の馬頭観音石像であるが、「穴観音」とか「九万九千日観音」とか呼ばれ、観音の縁日に拝むと9万9千回分の利益があると伝えられ…

皇女和宮の御使用の井戸

案内板 「 皇女和宮ご使用の井戸文久元年(1861)徳川家へ降嫁のとき当宿で休憩。そのとき使用された井戸で今も清水が尽きることなく湧き出ている。 以降美容の水として親しまれる。 小倉家裏手にある。 細久手長寿クラブ 」

歴史の道 中山道 細久手宿

案内板 「 歴史の道 中山道 細久手宿(ほそくてしゅく) 標高約四百二十メートルにあって、江戸から四十八番目(距離約九十二里)、京から二十二番目(距離約四十二里)に@hfy宿場です。中山道の開設当初、東の大湫宿から西の御嵩宿までの道程が四里半(約十七・七…

津嶋神社のお祭り

津嶋神社のお祭りについては、瑞浪市観光協会のホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓細久手津島神社 灯籠祭細久手の津島神社は徳川時代に創建されたが正確な年号は不明である。 毎年神前や各戸の軒に多くの提灯を掲げて提灯祭を行ってきた。 この祭は明治維新で一時中…

細久手宿案内板

案内板 「 細久手宿(ほそくてしゅく) 細久手宿は江戸から48番目の宿で、慶長15年(1610年)海抜420mのこの地に設けられた新宿です。 宿の長さは東西に3町45間(約408m)、天保14年(1843年)の戸数65戸、うち旅籠屋24軒で、尾州藩領でした。 宿の誇りは、上町の庚…

細久手宿 庚申堂

庚申堂 瑞浪市公式ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓宝暦以来の小堂宇を寛政10年(1798年)の宿中大火のあと、宿の鬼門除けとして享和2年(1802年)に再建したものです。宿内はもちろん近郷や旅人からも「細久手宿のこうしんさま」として親しまれたお堂で、ここか…

細久手宿概要

この案内板は全く読めないので、瑞浪市観光協会ホームページから引用します。瑞浪市観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓細久手宿は江戸から48番目の宿で、江戸へ92里、京都へ42里の位置にあり、東隣りの大湫宿と西隣りの御嶽宿の両宿間は4里半と長く…

細久手(掲示物)

「 細久手1、細久手の地名が出てきたのは、記録としては、天正11年(1583)五月苗木城を攻略した兼山城主森長可が、その5月25日の帰途細久手に宿陣したとある『金山記』の記載が始めてである。 2、文禄4年(1595)に國枝与左衛門が、自領地に氏神として日吉愛宕…

三国見晴台と馬頭様

案内板(手書き) 「 馬頭観音佛教の六観音の1つ 宝馬が四方を駆けまわって敵を 威伏するごとく一切の諸魔を くじき伏する威力を表わしたもの。 悪人怨家降伏のための修法の 本尊。民間では、馬の無病息災を祈る。 Thd Goddess of Mercy build in 1864. 元治…

奥之田一里塚跡、瑞浪一里塚跡

案内板 「 奥之田一里塚 江戸へ92里、京都へ42里という中山道の奥之田一里塚です。一里塚は道の両側に築かれ、高さ4m、直径12mあります。 この一里塚は、ほぼ、完全にもとの姿をとどめています。 東海自然歩道 」 案内板 「 歴史の道 中山道 瑞浪一里塚中山…