紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

歴史の道 中山道 細久手宿

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案内板
「 歴史の道 中山道
細久手宿(ほそくてしゅく)

標高約四百二十メートルにあって、江戸から四十八番目(距離約九十二里)、京から二十二番目(距離約四十二里)に@hfy宿場です。中山道の開設当初、東の大湫宿から西の御嵩宿までの道程が四里半(約十七・七キロメートル)もあったことから、尾張藩によって設置されました。慶長十一年(一六〇六)の開宿場町で当初は、七軒屋と呼ばれる小さな仮宿で、その後放火により全焼し、慶長十五年(一六一〇)に正規の宿場として再整備されています。宿場の規模については天保十四年(一八四三)の記録に『町並み三町四十五間(約四一〇メートル)、家数六十五軒、旅籠屋二十四軒、総人数二百五十六人』の記載があります。
細久手宿は、仮宿の全焼のほか、寛政十四年(一八〇二)、文化十年(一八一三)、安政五年(一八五八)の三度にわたって大火に見舞われ、大きな被害を受けました。現在の町並みは安政の大火以降に形成されたものです。

瑞浪市