紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-03-28から1日間の記事一覧

きんとう旅館

楽天 トラベル トロン温泉きんとう旅館きんとうページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓『 中仙道ときんとう旅館』 当店は江戸時代末期 文政年間に中仙道深谷宿で旅籠(はたご)として開業しました。「きん藤」という屋号は、創業者の藤平(とうべい)が近江(現在の滋賀県)出身…

藤崎藤三郎商店

藤橋藤三郎商店ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓創業 江戸時代の末期、嘉永元年(1848年)に創業者は越後の柿崎(新潟県…現在の上越市)より現在の地に移り酒造りを始めた。銘柄の由来 代表銘柄の「東白菊」は関東の東(あずま)に酒の清らかさを白、清酒の香…

七ツ梅酒造跡の紹介

一般社団法人「 まち遺し深谷」ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓七ツ梅酒造跡のご紹介七ツ梅酒造の沿革 七ツ梅酒造は、元禄7年(1694年)に近江商人の田中藤左衛門が創業した酒造です。創業以来300年の歴史を有し、県内でも1、2を競う老舗蔵元でしたが、2004年(平…

深谷シネマ

wikipediaより ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓埼玉県北部に存在する、唯一のミニシアターである。深谷シネマの立地する七ツ梅酒造敷地内には、飲食店やお茶屋・古本屋など関連店舗もあり、映画を楽しんだ観客が歓談するスペースとなっている。また、七ツ梅酒造内ではドラマや映…

深谷本陣跡 上段の間、次の間、入側

案内板 「 本陣 本陣は、脇本陣並びに旅籠とは違い、一般人は利用出来ず、即ち公儀の厳重な誓約を受け続けました。 中山道筋の貴人の通行の例としては年間、泊10件、休憩40件ほどで誠に少なく、為に本陣職の大半は、他にも主たる職業を持って居ました。飯島…

深谷の煉瓦

深谷市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓「 レンガのまち深谷」のレンガ史は、渋沢栄一翁が明治20年につくった日本煉瓦製造会社(後の日本煉瓦製造株式会社)の工場に始まります。 日本煉瓦製造会社の工場は、ドイツ人技師チーゼを招いて操業を始めました。ホフマン…

忍領石標

案内板 「 埼玉県指定文化財旧跡忍領石標(おしりょうせきひょう)指定年月日 昭和三十八年八月二十七日 所在地 熊谷市大字石原『 従是南忍領』と彫られたこの石標は、忍藩が他藩との境界を明らかにするため十六箇所に建てたものの一つです。初めは木材を用い…

新島の一里塚跡

案内板 「 熊谷市指定文化財史跡一里塚指定年月日 昭和二十九年十一月三日 所在地 熊谷市大字新島この一里塚は、旧中山道の東側に築かれたもので、今でも高さ十二メートル、樹齢三〇〇以上のけやきの大木が残っています。 慶長九年(一六〇四)、江戸幕府は江…

「中山道と熊谷宿」「札の辻跡」「熊谷宿本陣跡」

案内板 「 中山道と熊谷宿熊谷を通過していた『中山道』。中山道は古くは東山街道と呼ばれていた。慶長六年(一六〇一)に江戸幕府により宿駅・伝馬制度が整備された五街道の一つで、日本橋から京都三条大橋までの約五三二キロメートル、六十九宿(草津と大津の…

ムサシトミヨ 案内板とサイエンス誌より

案内板 「ここは、世界で熊谷市のみに生息するムサシトミヨがすんでいる川です。 川の汚れを少なくし、豊かな緑と清流を守るため皆さんのご協力をお願いします。 平成九年三月埼玉県・埼玉県教育委員会 熊谷市・熊谷市教育委員会 埼玉県熊谷土木事務所 熊谷…

堤防決壊の碑の案内板

案内板 「 1947年(昭和22)年9月 カスリーン台風による洪水で、この地点の堤防が決壊しました。1947年(昭和22)年9月、カスリーン台風による洪水のため、ここ熊谷市久下地先で荒川の洪水が堤防を越え決壊しました。その濁流はここより下流の鴻巣市で決壊した濁…

権八地蔵とその物語

案内板 「 鴻巣市指定民俗資料 平成三年八月二十一日指定権八地蔵とその物語 権八は、姓を平井といい鳥取藩士であったが、同僚を殺害したため脱藩し江戸へ逃れた。その途中金に困り、久下の長土手で絹商人を殺害し大金を奪い取った。あたりを見廻すと地蔵様…

吹上『間の宿』

案内板 「 吹上『間の宿』中山道の街道筋にあたる吹上は、鴻巣と熊谷の『あいの宿』として発展した町ですが、江戸期、幕府公認の宿場ではありませんでした。 しかし、それにもかゝわらず重要視されたのは、日光東照宮を警護する武士たちの『日光火の番道』と…

吹上神社 案内板

案内板 「 吹上神社御祭神 大山咋命 別名山末之大主神と言い比叡山に坐す建国に功労のあった神 倉稲魂命 食物を主宰する神 素盞嗚尊 信性勇猛な又災厄祓除の神 大物主命 大國主命の和魂称し奉る御名 菅原道真公 学問の神 由緒 當日枝社は宝暦六年七月火災に…

前砂の一里塚跡

案内板 「 前砂の一里塚跡江戸時代の初期、参勤を契機として街道が整備され、主な街道には距離の目安として一里塚が築かれた。慶長見聞集によると、中山道の一里塚は慶長九(1604)年に築かれた。 一里塚は、江戸日本橋を起点として一里(約4km)ごとに、街道両…

箕田源氏ゆかりの地

案内板 「 箕田源氏ゆかりの地 平安時代も9世期後半頃になると地方の政治が乱れ始め、武蔵国では群盗がはびこり、治安が悪化してきました。 西暦九一九年、前(さき)の武蔵権介(ごんのすけ)の任にあった源仕(任)は、官物を奪って官舎を焼きはらい、国府(…

氷川八幡神社と箕田源氏

案内板 「 氷川八幡社と箕田源氏氷川八幡社は、明治六年に箕田の鎮守であった八幡社と同じ村内の氷川社を合祀して現在の社名となった。 八幡社は、藤原純友(すみとも)の乱を鎮めた源仕(みなもとのつこう)が京都の石清水八幡宮から分霊を勧請(かんじょう 神社…