紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-06から1日間の記事一覧

塩名田宿 舟つなぎ石

佐久市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓江戸時代、塩名田宿付近の千曲川は、流れも急で、洪水のたびに橋が流されていました。さらに、橋の架けなおしには負担も大きかったことから、一時舟渡しも行われましたが、不都合も多く、結局、橋を架ける方式がとられ、幕…

塩名田宿 竹廻家

「K部長の美味しいブログ」(軽井沢在住のグルメなKさんのブログ)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【竹廼家】さんは中山道の23番目の宿場《塩名田》のはずれ、ゆったりと流れる千曲川をお部屋から見下ろすことができる素晴らしいリバービューの川魚料理屋さんで、ハヤ料理が名…

三階建て住宅群

案内板 「 三階建て住居群 塩名田の『川原宿』には所どころに情緒豊かな三階建て住居がある。通称『お滝通り』に立ちどまると気づく。 昭和六年(一九三一)に中津橋が従来の木造橋から鋼プラットトラス橋に架け替えられた。そのため、極道が以前より高い場所…

塩名田宿 えびや豆腐店

「かえるのひとりごと」(脱サラして軽井沢でキッチンを開いているぽんきちさんのブログ)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ Vol.524 海老屋豆腐店 2007/12/10 23:57えびや豆腐店海老屋豆腐店は旧中仙道、塩名田宿(しおなだ)の古民家を店舗としている。建物は江戸時代後期のも…

高札場跡 佐越 佐藤家住宅

案内板 「 高札場跡 江戸時代は、宿の街道筋の真中を塩名田用水が西から東へ流れていて、高札場が用水をまたいで設けられていた。そこには五枚の高札があり内容的には、宿継の人馬賃金、親子兄弟間の道徳、毒薬偽薬、などが掲げられていた。明治九年(一八七…

塩名田宿 問屋・本陣跡 花街塩名田

案内文 「 問屋・本陣跡 (丸山新左衛門家、本棟造、切り妻で入り口が妻側にある) 塩名田宿 は、江戸から四三里一三丁、二三番目。中山道筋が定まるのは慶長のはじめころ、塩名田宿は岩村田と望月の中間に位置し、街道筋でも難場のひとつ、千曲川を前に一宿…

荘山稲荷神社と保食神

案内文(印刷物) 「 荘山稲荷社鎮座地 佐久市大字平塚字荘山12番地祭神 保食神(うけもちのかみ)外3柱神由緒(いわれ) 本神社は平塚区荘山に在り、創立されたのは江戸時代中期に入った頃の寛保元年(1714年)と伝えられ、今から273年前のことである。 当時の平塚…

濁川

濁川 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓長野県東信地方、北佐久郡軽井沢町西部、浅間山の南にそびえる石尊山の東側(標高1,500メートル)に端を発し、南南西の方向で直線的に流れ、御代田町を経て佐久市塚原にて流れを西に変え、塩名田で千曲川(長野県内における信濃…

相生の松

「四季歩のつれづれ」(岩村田出身の方のブログ)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓相生の松記録によると、文久元年(1861)に皇女和宮が将軍徳川家茂に降嫁するため、旧中山道のこの場所を通り、縁起のいい名前から、野点をされたと言われている。 「相生の松」は岩村田地域…

御嶽神社

御嶽神社 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓御嶽神社(みたけじんじゃ)は、蔵王権現を祭った神社。金峰神社・金峯神社(きんぶ、きんぷ、きんぽう、みたけ)ともいう。総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂。修験道の神である蔵王権現を祀る神社は、明治時代の神仏分離…

曲口神社

ブログ「神道一直線」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓上曲口神社秋祭り(2009-09-13) 佐久市岩村田の東芝間にある上曲口神社は古い神社で社殿や鳥居もありません。一説には縄文神だとか祟る神様とかいいますが、はっきりはしないようです。 地元の古老はミシャグッツアンと…

佐久市子ども未来館

ドームは、佐久市こども未来館(サクモ)です。佐久市こども未来館ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓「佐久市子ども未来館」(愛称 sakumo(サクモ))は、体験やコミュニケーションを通して、子ども達の「未来をつくる力(自ら課題を見つけ、それらを解決する…

岩村田 戸塚酒造

佐久物産振興会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓戸塚酒造 株式会社承応二年(1653)に岩村田で造り酒屋を創業。幾多の変還を経て、文政四年(1821)に現在地で再興。手造りに徹し、品質一筋の道を歩んできました。 創業者は御獄神社の信仰が厚く”寒竹霊人…

皎月原

案内板 「 佐久市文化財 名勝 皎月原 皎月原は旧中山道沿い、小田井宿と岩村田宿の中間、小田井宿よりの草原で、古くから指定地に関する古記録や伝説があって、中山道に於ける著名な名勝として知られている。伝説によれば用明天皇(586年)皎月という官女が…

小田井宿 高札場跡

案内板 「 町指定史跡 中山道小田井宿跡 小田井宿は、中山道六九次の宿場の一つで、板橋宿から数えて二一番目、追分宿と岩村田宿の間に位置し、日本橋からは四〇里三一町(約一六〇キロ)の距離にあった。皇女和宮をはじめとして、宮家や公家の姫君の休泊に利…

小田井宿 本陣跡

案内板 「 町指定史跡 中山道小田井宿 本陣跡(安川家住宅) 安川家は江戸時代を通じて中山道小田井宿の本陣をつとめた。現在、その本陣の客室部を良工に残している。 客室部は切妻造りで、その式台・広間・三の間・二の間・上段の間・入側などは、現形をよ…

小田井宿 東の桝形

案内板 「 中山道 小田井宿 小田井宿は天正年間(1573~92)に誕生し、慶長(1596~1615)以降、宿駅としての機能が整えられました。 昭和に入って数度の工事で、道の中央を流れていた用水路も南側に寄せられましたが、東西の入口にあった枡形もわずかにその…

おはる地蔵町 女傑安川ハル

案内板 「 女傑 安川ハル 安川ハルは、御代田村小田井、安川肅・すての一人娘として、明治36年3月4日に生まれた。御代田小学校、岩村田農学校女子部を卒業し、更に補修科を修業した。大正8年3月、郡教育会主催小学校、准教員並びに師範学校準備講習を受け、…

御代田の一里塚跡

案内板 「 長野県史跡 御代田一里塚 中山道、御代田の一里塚 は、軽井沢町追分一里塚 の次に位置するもので、これを経て中山道は小田井宿 へと至り、さらに佐久市鵜縄沢の一里塚、岩村田宿 へと向かう。 中山道は、江戸幕府の置かれる前年の慶長七年(1602年…