紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

小田井宿 高札場跡

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案内板
「 町指定史跡 中山道小田井宿

小田井宿は、中山道六九次の宿場の一つで、板橋宿から数えて二一番目、追分宿岩村田宿の間に位置し、日本橋からは四〇里三一町(約一六〇キロ)の距離にあった。皇女和宮をはじめとして、宮家や公家の姫君の休泊に利用されることが多かったことから、『姫の宿』ともよばれた。
天正一六年(一五八八) 三月『小田井町割諸事之控』によればこのとき町割りがおこなわれ、その家数は二六だったというから、このころから小田井宿の整備がはじまったといえよう。そして、慶長七年(一六〇一)には各宿間の『駄賃』などが定められているので、このころまでには宿場としての形態を整えたとおもわれる。
中山道宿村大概帳』によれば、天保一四年(一八四三)には、一〇九軒の家があり、三一九人が住んでおり、本陣一軒、脇本陣一軒、旅籠五軒、問屋場二か所などがあった。
小田井宿が宿場としての役割を終えたのは明治三年(一八七〇)だが、その遺構は現在も随所に残されている。
現在地は高札場跡である。

昭和五十三年六月一日

御代田町教育委員会 指定 」