紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-22から1日間の記事一覧

赤坂宿 竹中邸

竹中邸 大垣市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓赤壁は、旧中山道赤坂宿の有力商家であった竹中邸の裏門で、養老街道沿いに位置する規模の大きな長屋門です。印象的な壁の色から地元では昔から「赤壁」として親しまれており、向かいの矢橋邸とともに趣のある景観を…

矢橋家住宅 大型町屋(国文化財)

矢橋家住宅 大型町屋(国文化財) 大垣市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓矢橋家住宅は、中山道に北面する平入の大型町屋で、往時の赤坂宿の中心部の雰囲気をよく伝えています。天保4年(1833年)の建築とされる母屋は、長大な梁間に架けられた大屋根の瓦が威容を誇…

赤坂宿

赤坂宿 案内板 「 赤坂宿東 美江寺へ二里八町 西 垂井へ一里十二町 近世江戸時代五街道の一つである中山道は 江戸から京都へ百三十一里の道程に六十九次の宿場があり 美濃赤坂宿は五十七番目に当る 大名行列や多くの旅人が往来し また荷物の輸送で交通は盛ん…

赤坂宿 旧清水家住宅

旧清水家住宅 大垣市ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓旧清水家住宅旧清水家住宅は、赤坂宿のほぼ中央に位置する古い商家の建物です。享保15年(1730)もしくは安永4年(1775)建造と伝えられる主屋は、軒高の低い切妻造り2階建ての建物です。坪庭北側には、明治13…

中山道赤坂宿散策マップ

中山道赤坂宿散策マップ 中山道赤坂宿散策マップ 「 赤坂宿 赤坂宿は、かつて中山道六十九次の57番目の宿場町として栄え、東西に連なる町筋には、本陣・脇本陣をはじめ旅籠屋17軒と商家が軒を並べ、美濃国の宿場町として繁盛していました。 現在もその古い建…

赤坂本町駅跡

赤坂本町駅跡 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓赤坂本町駅(あかさかほんまちえき)は、かつて岐阜県大垣市赤坂町にあった西濃鉄道市橋線の駅(廃駅)である。概要西濃鉄道は、現在旅客扱いを行わない貨物専業鉄道となっているが、戦前・戦中にあたる1930年(昭和5年…

まちの家赤坂宿

まちの家赤坂宿 NPO法人まちの家赤坂宿ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓目的自分達が年老いても、住み慣れたまちに暮らし続けられるため、住民ひとりひとりが自立した健康意識を持ち、世代を超えてお互いに支えあうことを目的として、主に ① 健康づくりの拠点 ② …

赤坂港会館

赤坂港会館 大垣市ボートより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 赤坂湊跡に建つ洋風建築の赤坂港会館は、明治8年(1875年)に中山道と谷汲街道の分岐点に建てられた警察屯所でした。現在の建物は復元されたもので、内部は資料館となっています。赤坂湊跡はかつては水運で賑わい、50…

矢橋式日時計

矢橋式日時計 案内板 「 矢橋式日時計日時計のみかた この日時計は、上のひさし形をした板のかげが、午後1時までは左側、午後一條以降は右側の目盛にうつり、それで、そのときの時刻がわかります。 この半円形の目盛板は、その中心のまわりに回転させて、時…

杭瀬川 ゲンジボタルの生息地

杭瀬川 ゲンジボタルの生息地「大垣・西美濃観光ポータル『水都旅』」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓初夏の風物詩として有名な杭瀬川のホタル。杭瀬川に生息するホタルはゲンジボタルで市の天然記念物の指定を受けています。ホタルが乱舞するその光景は感動的です。 ↑↑↑↑↑↑↑…

かなの至宝 日比野五鳳

かなの至宝 日比野五鳳wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓日比野 五鳳(ひびの ごほう、1901年2月20日 - 1985年1月27日)は、日本の書家。昭和の三筆の一人。息子の日比野光鳳も書家。岐阜県神戸町に日比野五鳳記念美術館がある。 また神戸町役場の入口ロビーには、氏…

中山道 七回り半

七回り半 七回り半について、「中山道道中記」( http://home.b05.itscom.net/kaidou/nakasendo/nakasendo.html)というブログに、土地の古老から聞いた話が載っていました。興味深い話なので引用させていただきます。ありがとうございます。「中山道道中記」…

素盞鳴社(すさのおしゃ)

素盛嗚社 案内板 「 素盞鳴社(すさのおしゃ)〈 御祭神〉 天照皇大神宮の弟『素盞鳴大神 』を鎮守とし、五穀豊穣・無病息災を願う。(由緒) 明治ニ十一(一八八八)年七月二十九日大垣輪中瀬古堤決壊で、曽根赤花汚泥海と化す。神府が『立木民次郎氏宅』竹藪に…

呂久の渡し

呂久の渡し 案内板 「 呂久の渡し 呂久渡船場跡 天正時代織田信長が岐阜に在城し、天下統一のため京に近く交通の要衝である近江の安土城に居所を移した頃から美濃と京都の交通が頻繁となり、赤坂―呂久―美江寺―河渡―加納の新路線が栄えた。 これが江戸時代の…

瑞穂市指定史跡 小簾紅園(和宮遺跡)

案内板 「 瑞穂市指定史跡 小簾紅園(和宮遺跡)金紋先箱を先頭に警護の武士団や、色鮮やかな装束の宮中人の絢爛豪華な大行列が蜿蜒(えんえん)と続いた。公武合体のため仁孝天皇の第八皇女和宮が、徳川十四代将軍家茂に嫁ぐため、中山道を御降嫁された時のよう…

小簾紅園内の石碑

小簾紅園内の石碑 この石碑の説明がこちら。 案内板 「 副碑には、遺跡造営の願いや経緯が記されています。前段には、降嫁される和宮様が、御座船が飾らせた紅葉を愛でながら、詩を詠われたこを紹介しています。中段では悲壮な決意で降嫁される和宮様の心境…

「船場ヲ経テ太田町」道標

「船場ヲ経テ太田町」道標 案内板 「 『船場ヲ経テ太田町』道標 平成27年7月瑞穂市宮田地内の民家で家の建替えに伴い発見されました。 50年程前、建設会社に勤めていた家主の父親が加茂地域の道路工事現場から運んできたどしゃに紛れ込んだらしいが、工事現…

中山道跡地

中山道跡地 案内板 「 中山道跡地 瑞穂市内の中山道は、幕府へ降嫁された皇女和宮の遺徳をたたえて建設された六の『小簾紅園(おずこうえん)』から揖斐川の『呂久の渡し』、田之上(新月)にある鎌倉時代後期の自然居士(じねんこじ)作の千躰仏をまつった千躰寺…

千躰寺と千躰仏

「 千躰寺と千躰仏千躰寺 は、浄土宗西山派に属し、現在、養老郡の円満寺の末寺である。千躰寺には高さ12センチメートルから23センチメートルの桧材一木造の阿弥陀如来立像 、千体が八段に並べまつられている。仏像は、千躰仏と呼ばれ、寺の名の由来となった…

高札場跡

案内板 「 高札場跡きりしたん制札など幕府や領主が行政的 に周知の必要な事項を木製の高札に書い て掲げ住民に知らせる場所であった。江戸時代の中山道分間延絵図 によると、このあたりに高札場があった。 瑞穗市教育委員会 」

本田代官所跡

本田代官所跡 案内板 「 本田代官所跡江戸時代の一時期、このあたりに幕府直轄地の代官所があったが、詳細は定かでない。しかし、古文書等から推測すると、寛文十〇年(一六七〇)、野田三郎左衛門 が、初代代官に任じられ、この地に陣屋を設けたと思われる…

延命地蔵尊(本田地蔵堂)

延命地蔵尊(本田地蔵堂) 案内板 「 本田地蔵堂 (延命地蔵) この地蔵は高さ九十センチメートルの石仏座像で彫りが美しく優雅な面相である。背面に『石工名古屋門前町大阪屋茂兵衛 』、台座には『文化六巳巳歳(1809年)八月二十四日建立、濃州本巣郡上本田…

松下神社石碑

松下神社石碑 松下神社 石碑 「 松下神社中山道河渡宿は、東に長良川、西南に糸貫川、北に根尾川があり土地も低く、白雨雪舞の折には泥沼となった。特に文化十二年六月には、未曾有の洪水にみまわれ、このままでは宿も絶えるのではと時の代官松下内匠が、宿…

中山道河渡宿

中山道河渡宿 中山道河渡宿 石碑 「 中山道河渡宿 江戸時代、江戸と京都を結ぶ重要な街道として中山道が整備され六十九の宿場が設けられた。河渡宿は江戸から百六里二十七町、五十五番目の宿場であった。 加納宿 へ一里半、美江寺宿へは一里六町を隔て、長良…

鏡島湊跡

鏡島湊跡 案内板 「 鏡島湊(かがしまみなと) 鏡島湊は長良川を利用した舟運の湊として、豊臣秀吉の政権以前から栄えていました。位地は、岐阜町近くで分流した長良川が再び合流する地点のすぐ川下にありました。天正二十年(一五九二)岐阜城主織田信秀は鏡島…

加納宿 多羅野(だらり)神社

加納宿 多羅野(だらり)神社 本荘公民館ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓多羅野(だらり)八幡神社多羅野八幡神社は、一名盗宮とも言い、昔付近に家もなく背丈ほどの笹が茂り盗賊が潜んでいたのでそう呼ばれたのです。はじめは、3箇所にあった八幡神社・天満神社・秋…

加納宿 阿賀多神社

阿賀多神社 案内板 「 阿賀多神社由緒【御座地】岐阜市南本荘一条通二〇 【祭神】仁徳天皇 【例祭日】四月四日 【由緒】応仁二年八月の勧請と伝えられている。 社伝よれば、一条兼良 郷が当地の角藤大夫の屋敷に滞在した折り、河川が氾して 尊い御神体が漂着…

花まつりと白いゾウ

花まつりと白いゾウ 「ii-nippon.net 日本の風」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓※お誕生にまつわる伝説その昔、ヒマラヤ山脈の麓にシャーキャ族(釈迦族)という小さな部族があり、王はシュッドーダナー王(浄飯王・じょうぼんおう)、王妃はマーヤー夫人(摩耶夫人・まやぶ…

享保13年来日の象の話

享保13年来日の象の話 享保13(1728)年6月に牡と牝と二頭の象が長崎に来日。残念なことに、牝の象は9月に死んでしまったそうです。翌享保14(1729)年3月、牡の象は江戸に向かって出発。大阪、京都を経て、5月に江戸幕府に献上されました。 大阪、京都の後、wik…

加納宿 二文字屋

二文字屋 二文字屋(にもんじや)webサイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓創業は江戸時代初めの元和六年(1620)。岐阜城下より移り住んだ上野長七郎が、「町年寄」として中山道加納宿に「二文字屋」の屋号を掲げ、「御勅使、大名高家」の「御飛脚使宿」として、お茶料理をはじ…