紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

「中山道と熊谷宿」「札の辻跡」「熊谷宿本陣跡」

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案内板
中山道と熊谷宿

熊谷を通過していた『中山道』。中山道は古くは東山街道と呼ばれていた。慶長六年(一六〇一)に江戸幕府により宿駅・伝馬制度が整備された五街道の一つで、日本橋から京都三条大橋までの約五三二キロメートル、六十九宿(草津と大津の宿場は東海道と重複)の行程であった。
『熊谷宿』は六十九宿のうち、(江戸・日本橋)から、板橋、蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣の後に至る八番目の宿場町であった。
江戸時代、中山道と久下の長土手を描いた渓斎英泉『熊谷宿八丁堤景』からもその様子を見ることができる。寛文年間(一六六一〜)の熊谷の古地図には、宿場は東西九町六間(約九九二メートル)との規模が示され、寛政一二年(一八〇〇)の『熊谷宿往還通明細書上』には、戸数が九三七戸、人工が三二七六人と当時の状況が記されている。
当初、本陣は本町一丁目の竹井新右衛門家と本町二丁目の鯨井久右衛門家の二軒であったが、享保八年(一七二三)に竹井家だけとなった。その後、竹井家の他に、安永年間から石川藤四郎家が本陣を担うようになった。竹井家は、天正年間から熊谷にて代々本陣を務めた旧家として知られている。竹井本陣は、明治十七年に門を残して焼失し、後年、縮小して建替えられたが、昭和二十年の戦災で再び焼失した。嘉永二年(一八四九)の竹井家を描いた『本陣絵図』によると、面積は四九六〇㎡、建築面積は二二八一㎡、畳数一〇三畳で、全国でも屈指の規模を誇っていた。
熊谷宿の歴史は、『六斎市』や『熊谷八坂大祭(うちわ祭・熊谷八坂神社祭礼行事)』などの祭礼とも関わりが深い。江戸時代、周辺の村々から生産された農作物や木綿織物などを売る市場が中山道の両側に作られた。高城神社や熊谷寺の門前市も開かれ、六斎市が人々の間に定着されていった。また、熊谷八坂大祭は、愛宕神社に合祀された八坂神社の祭礼で、江戸時代初期には各町内で催された。その後、寛延三年(一七五〇)、町民の請願により全町一斉での神輿渡御が開始された。江戸時代後期には、赤飯ふるまいが熊谷宿の風物詩となる。明治時代になり山車・屋台の巡行が始まり、祭礼の名称となるうちわの配付が人気を博した。この華やかな祭礼行事は中山道と共に育まれ、現代へと継承されている
その他、中山道沿いには、札の辻跡や久下の権八地蔵、英泉の絵に描かれた『みかりや 』、竹井本陣の別邸として築かれた『星渓園』、秩父道志るべ、新島の一里塚などの文化遺産があり、街道のひとつで歴史を今に伝えている。

平成二十八年三月一日
熊谷市教育委員会

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案内板
「 『札の辻跡』(熊谷市指定文化財 史跡)

昭和二十九年十一月三日指定

札の辻は、高札の設置場所で、高札場とも言われた。高札は、掟・条目・禁令などを板に書いた掲示板で、一般大衆に法令を徹底させるため、市場・街道など人目を引く所に掲示された。
 熊谷宿の高札場は、宝永年間に記された『見世割図面写』により、場所・大きさなどが推定できる。
場所については、『町往還中程に建置申候』と記され、木柵で囲まれた屋根のある高札場が描かれている。この説明から、高札場は現在の大露路通りと中山道の交差する道の中央辺りにあったことが推察できる。高札は、高さが一丈一尺(二・三メートル)、横幅が六尺四寸(約二メートル)の大きさであった。高札一四枚は市指定文化財として保管され、中山道の歴史を知る資料となっている。札の辻は、中山道の記憶を今に伝える史跡として貴重な文化財である。

平成二十七年三月 熊谷市教育委員会

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案内板
「 本陣跡(熊谷市指定文化財 史跡)

昭和二十九年十一月三日指定

 本陣は、江戸時代初期の寛永十二年(一六三五年)、諸大名に対する参勤交代制度が確立されてから、各街道の宿場町に置かれた休泊所である。諸大名や幕府役人、公家貴族などのための特別な旅館でもあり、門・玄関・上段の間を設置することができ、旅籠屋などの一般の旅館とは区別されていた。
また、本陣を担った経営者も土地の豪家で名字帯刀を許されることが多かった。
熊谷宿の本陣のうち、街道の南側、本町一丁目の西端に位置していたのが『竹井本陣』であった。敷地一六〇〇坪、建坪七〇〇坪、四十七部屋を有する、国内屈指の規模を誇る本陣だった。しかし、明治の火災と、終戦前夜の空襲で失われ、現在では本陣跡が残されるのみとなった。本陣の西には、竹井本陣別邸だった市指定名勝『星溪園』があり、その当時の面影を今に伝えている。

 平成二十七年三月 熊谷市教育委員会