一里塚(謡坂十本木)
案内板
「 一里塚(謡坂十本木)
慶長九年二月、徳川幕府は東海道・中山道・北陸道に江戸日本橋を基準として、道の両側に五間四方(約一六メートルほど)の塚を築造させました。これが一里塚です。
一里塚は、一般的に一里ごとに榎、一〇里毎に松を植えて旅人に里程を知らせる重要なものでした。
現在の御嵩町内にその当時四ヵ所あった一里塚は、幕藩体制崩壊後必要とされなくなり、明治四十一年にこの塚は二円五〇銭で払下げられ、その後取り壊されました。
この一里塚は昭和四八年、地元有志の手でかっての一里塚近くに復元されたものです。 」