紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

細久手宿概要

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この案内板は全く読めないので、瑞浪市観光協会ホームページから引用します。

瑞浪市観光協会ホームページより

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細久手宿は江戸から48番目の宿で、江戸へ92里、京都へ42里の位置にあり、東隣りの大湫宿と西隣りの御嶽宿の両宿間は4里半と長く、両宿の人馬が難渋したため、慶長11(1606)年に仮宿を設けたのが始まりです。宿内の町並みは東高西低で、東の茶屋ヶ根から西の日吉・愛宕神社入口迄が上町・中町・下町に三分され、宿長は3町45間(410m)ありました。
 枡形はつくられず、上町と下町に弓形が施され、高札場は上町入り口の庚申堂前に、本陣・問屋場は中町に、脇本陣は下町にあり、往還に沿って東西に細長い町並みでした。また家々の地割は、5間から10間と統一されていませんが、家々の境は石積みで区画整地されており、いまも新宿設置のころの施工の様子がうかがわれます。
 今では、大湫宿の場合と同様主要交通路や鉄道が南の土岐川沿いに移ったため、主要地方道65号恵那御嵩線のみとなり宿は過疎化の中でわずかに往時の姿をとどめています。

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