紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

木造阿弥陀三尊像(福生寺)

福生寺 轟地蔵

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案内板
「 木造阿弥陀三尊像(福生寺)
(安土町指定文化財)

福生寺は浄土宗寺院で、天正十六年(一五八八)に僧光阿(こうあ)の開其(かいき)と伝えられ、現在の本堂は江戸時代中期の建立とされている。
本尊の阿弥陀三尊の中尊(真ん中の仏像)阿弥陀如来像は檜材の寄木造りで、像高五八・四センチメートル、やや面長の輪郭に目尻をつり上げた細い目、小さくまとまった唇、張りのある頬や顎などに慶派(康慶・運慶などに代表される仏師の一派)の作風に共通する表現が見られ、鎌倉時代の作と考えられる。

安土町教育委員会

案内板
「 轟地蔵尊

由来や建立年代は定かでないが、江戸時代に描かれた中山道分間延絵図には東老蘇を流れる轟川の中山道轟橋北西のたもとに轟地蔵が記されている。
明治時代になって、川と橋の改修工事により、福生寺に移築された。
地蔵堂内の中央に石の地蔵が安置されその前面に色鮮やかな小さい地蔵が二十六段、約千体飾られている。
青色や朱色などで着色された可愛い土人形で近隣(五箇荘小幡)で作られた小幡人形と思われる。人形の裏には戒名が書かれていることから、御先祖や水子の供養として奉納されたものと考えられ、古くから安産祈願のお地蔵さんとして親しまれてきた。
福生寺では、毎年八月の地蔵盆には、子ども達の健やかな成長と幸を願って盛大に法要が営まれている。 」