紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-28から1日間の記事一覧

武佐郵便局のお知らせ

武佐郵便局のお知らせ 案内板 「 お知らせ近江八幡市武佐町は、中山道の宿場町として栄え、多くの旅人が往来した町であります。 武佐宿としての景観づくりのため、郵便局や書状集箱(郵便ポスト)も往時の様式を模したものとしました。 皆様のご利用をお待ち…

木曾街道六拾九次之内武佐

木曾街道六拾九次之内武佐 案内板 「 木曾街道六拾九次之内武佐武佐の西方に日野川(横関川)が流れていた。 文化3年(1806)に幕府が作成した「中山道分間延絵図」には、日野川は「平常渡船場 小水之節ハ舟二艘綰ナキ合セ舟橋トナシ往来ヲ通ス」と注記…

中山道六拾七番宿場武佐宿

中山道六拾七番宿場武佐宿 案内板 「 中山道六拾七番宿場武佐宿武佐は昔『牟佐』又は『身狭』の字を使ったが江戸時代頃よりこの『武佐』をつかう。 蒲生郡第一の賑わいをみせ 中山道の大きな驛として 人馬の継立は人夫五十人馬五十駄を常設、本陣、脇本陣各…

ムシャリンドウ

ムシャリンドウ 案内板 「 『ムシャリンドウ 』武佐(武者)竜胆 シソ科の多年草で、日当たりのよい山地の草原に生える。 名は花の姿がリンドウに似ており、蒲生郡武佐村(現近江八幡市武佐町)で発見されたことに由来する。 本州中部から北海道にかけて分布し、…

武佐神社の由来

武佐神社の由緒 案内板 「 由緒武佐は古へ牟佐村主の古地なれば牟佐上下の両社は平安朝の時代神威高く貞観元慶二度神位階を授けられし事三代実録に見ゆ。 当社はその牟佐下神なりといふ。 武佐は佐々木氏の時より宿駅として商売繁昌し市庭には商売店を列ね遠…

泡子地蔵のいわれ

泡子地蔵のいわれ 案内板 「 泡子地蔵のいわれ昔この地に村井藤斎という者が、茶店を構え妹が茶を出して旅人を休ませていた。 ある日、一人の僧が来てこの茶店で休憩をしたところ、妹はすぐに大変深くこの僧に恋をした。 そして、この僧が立ち去ると僧の飲み…

杉原氏庭園

杉原氏庭園 案内板 「 杉原氏庭園杉原氏庭園(滋賀県指定文化財名勝)『緑苔園』と称する、勝元宗益(通称鈍穴)が江戸時代末期に作庭したことがほぼ明らかな庭園です。 回遊式の枯山水庭園で、広さは約500㎡。 座敷から見える石組を中心にした強さと優し…

轟地蔵旧跡と轟橋

轟地蔵旧跡と轟橋 案内板 「 轟地蔵旧跡と轟橋現在福生寺に祭祀されている轟地蔵は中山道分間延絵図(重文 一八○六年)には、この場所に画がかれている。 平安時代の俗謡『梁塵秘抄』のなかに『近江におかしき歌枕 老蘇轟 蒲生野布施の池‥‥』と歌われ、その…

木造阿弥陀三尊像(福生寺)

福生寺 轟地蔵 案内板 「 木造阿弥陀三尊像(福生寺) (安土町指定文化財) 福生寺は浄土宗寺院で、天正十六年(一五八八)に僧光阿(こうあ)の開其(かいき)と伝えられ、現在の本堂は江戸時代中期の建立とされている。 本尊の阿弥陀三尊の中尊(真ん中の仏像)阿弥陀…

老蘇の森の由来

老蘇の森の由来 案内板 「 老蘇の森由来古来老蘇の森一帯は蒲生野と讃えられ老蘇・武佐・平田・市辺の四ヶ村周辺からなる大森林があった。 今尚近在に野神さんとして祀れる大杉が老蘇の森の樹齢に等しいところからもすでに想像されるが現在は奥石神社の鎮守…

清水鼻の名水

清水鼻の名水 案内板 「 湖東三名水の一つ、清水昔から湖東三名水の一つ、清水(湧水)が、旧中山道の町内の道沿いにあります。 古くは交通の要衝として栄えた当地では、今も湧水が絶えなく、道行く人達にも潤いを与え、喜ばれています。 五個荘清水鼻町自治…

石塚の一里塚跡

石塚の一里塚跡 案内板 「 中山道 石塚一里塚史跡石塚一里塚は、中山道を江戸日本橋から123里(483km)の、この地にありました。 徳川家康は、慶長六年(1601年)江戸城防衛を目的に、街道の整備を始め、東海道は寛永元年(1624年)に完成しました。 中山道は木曽…

観音正寺への道標(みちしるべ)

観音正寺への道標(みちしるべ) 案内板 「 観音正寺への道標(みちしるべ)正面に『三十二番くわんおん山』 右側側面に『是より十八丁』と刻まれており、ここから西国三十三ヵ所観音霊場、第三十二番札所『観音正寺(かんのんしょうじ)』へと続く道を示していて…

片山半兵衛家

片山半兵衛家 案内板 「 片山半兵衛家片山家は、武佐宿と愛知川宿の中間に位置し、小休所として大名家等に利用された んだ。当家に残る資料によると享保17年(1732)松平大勝太夫様(長門国藩主 毛利氏)を初めとして、元治元年(1864)の尾州前大纳言様(名古屋藩…

市田庄兵衛家本宅 京町屋風商家の保存

市田庄兵衛家本宅 案内板 「 京町屋風商家の保存この建物は明治初期の建築で、江戸時代から呉服繊維商として京都、大阪で活躍した、市田庄兵衛家の本宅です。 奥に細長い京町家風の建築様式で、平成十三年に北町屋町が購入、保存、活用しています。(市指定…

明治天皇北町屋御小休所

明治天皇北町屋御小休所 案内板 「 明治天皇北町屋御小休所明治11年(1878)明治天皇が北陸東海巡幸の際に、10月12日高宮円照寺を発し、愛知川竹平で小休の後、市田太郎兵衛邸で小休し、武佐の広済寺に向かわれたんだ。 帰路は東海道を三重県に向かう予定だっ…

新堂町の常夜燈

新堂町の常夜燈 案内板 「 新堂町(しんどうちょう)の常夜燈基壇の部分に『右 京道』『左 いせ ひの 八日市』と刻まれているんだ。 新堂村(五個荘新堂町)を経て御代参街道へと至る分岐点のひとつを示すもので、天保15年(1844)9月の建立なんだ。 宝珠・請花・…

西澤梵鐘鋳造所

西澤梵鐘鋳造所 滋賀県ホームページ「こころに残る滋賀の風景」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓(株)西澤梵鐘鋳造所では、江戸時代から続く梵鐘づくりが昔ながらの鋳造方法で造られています。梵鐘の原料は銅と錫の合金で、鋳物の成形は全て手作業。一つの梵鐘を製作するには、…

五個荘と五箇荘

五個荘と五箇荘wikipediaで調べてみると、↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓五個荘町(ごかしょうちょう)は、滋賀県神崎郡にかつて存在した町。近江商人発祥地の一つとして知られる。(2005(平成17年)2月11日に近隣の町と合併し、東近江市となりました。)概要 古来より交通の要衝で…

松居家住宅洋館(旧五箇荘郵便局)

松居家住宅洋館(旧五箇荘郵便局) 滋賀報知新聞社 東近江・湖東ニュースより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓登録有形文化財に 五個荘の松居家住宅洋館 2008年12月14日(日) 第15214号|東近江・湖東 ニュース ◇東近江・五個荘 国の文化審議会(石澤良昭会長)は十二日、東近江市の…

小幡町御代参街道への道標

小幡町御代参街道への道標 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や)「 小幡町御代参街道への道標小幡町から奥町をへて八日市へ至る『御代参街道』への重要な分岐点で、『右 京みち』『左 いせ ひの 八日市みち』と刻まれているんだ。 享保3年(1718)丁酉(ひの…

中澤酒造

中澤酒造 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や) 「 中澤酒造中澤酒造は昭和23年(1948)小幡の地で創業されましたが、平成12年(2000)一旦休業しました。現蔵元の中沢一洋さんが、再開を模索していたところ、畑酒造の蔵元から誘いをうけ蔵人として研鑽を深め、…

東嶺禅師(とうれいぜんじ)生誕の地

東嶺禅師(とうれいぜんじ)生誕の地 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や)「 東嶺禅師生誕の地享保4年(1719)この地に生まれ、幼児より神童の誉れあり。9歳の時に自ら請うて五箇荘中町の齢仙寺を経て、能登川大徳寺に入り剃髪、出家されたんだ。 臨済宗中興…

中町出町の常夜燈

中町出町の常夜燈 案内板(三代目ごかしょうてんびん坊や)「 中町出町の常夜燈この灯篭は、対岸の祇園神社境内の西隅にある灯篭(弘化3年(1846)2月建立)と対峙しているもので、『にらみ灯篭』ともいわれ、愛知川を渡る人々の安全を守り、中山道を往還する旅…

愛知川東側の睨み灯籠

愛知川東側の睨み灯籠案内板 「 常夜燈 弘化三年(一八四六)に建てられたこの常夜燈は、総髙四・三五メートルで、基礎の四周には寄進者や石工の名が刻まれている。寄進者には愛知川宿の宿役人のほか、次宿、武佐の人々で構成される『武佐郷中』、伊勢参りの『…

日本料理 竹平楼(たけへいろう)

日本料理 竹平楼(たけへいろう) 竹平楼ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓創業宝暦八年、竹平楼は江戸時代から続く老舗の料理旅館です。 初代平八が「竹の子屋」の屋号で旅籠を営んだことに始まります。 明治十一年、三代目の平八の時に明治天皇が、民情視察のため…

愛知川ふれあい本陣

愛知川ふれあい本陣 「しがトコ」(滋賀を自慢したくなるローカルメディア)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【愛知川ふれあい本陣/滋賀県愛知郡愛荘町】町屋が軒を連ね、宿場町の雰囲気が残る中山道沿いに ノスタルジックな雰囲気が漂う、洋館の建物。 大正15年建築の旧近江銀…

むちん橋の由来 (愛知川宿)

むちん橋の由来 案内板 「 『むちんばし』の由来『旅人をあはれみかけてむちんばし、深き心を流す衛知川』 西園寺藤原実丈 (さいおんじふじわらさねたけ) この歌は愛知川宿の成宮家に家宝として残る一部。鈴鹿山系の水を集める幅二百余メートルの愛知川は、…

愛知川宿ポケットパーク 書状集箱

愛知川宿ポケットパーク 書状集箱 案内板 「 書状集箱 このポスト(書状集箱)は、明治4年(西暦1871年)郵便創業当時使用していたものと同じ型のものであり、「ポケット・パーク」が、町のシンボルとして、愛知川町は、かっての「木曽海道」六十九次の…

旧田中家住宅(近江商人亭)

旧田中家住宅(近江商人亭) 近江商人亭ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓国登録有形文化財に登録されました 旧田中家住宅(近江商人亭)は、近江鉄道愛知川駅の南東約300mに位置し、旧中山道に面する西側に奥行きの深い敷地に建っています。 現在は、平成6年に…