紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

白河 鹿嶋神社

 

白河鹿嶋神社ホームページより

 

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〈御祭神〉

武甕槌命(たけみかづちのみこと)

 

〈御由緒〉

宝亀年間(770~780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳(成立927年)にのこる式内社でもあります。その後も歴代城主の尊崇あつく、城主自ら奉幣、参籠し、祭田や社殿の寄進もありました。

文明13年(1481年)時の城主小峯政朝が神社において1万句奉納の連歌会をおこないました。著名の連歌師宗祗が西国からはるばるこの地にやって来たのも、この会に出るためでした。このことは、当時の白河地方の文化が相当高い水準だったことを示しています。

文化3年(1783年)松平大和守により『鹿嶋大神宮』の額が、また大正14年(1925年)海軍元帥東郷平八郎により『鹿島宮』の額が奉納されています。この両額は今も神社の正面に掲げられています。寛政7年(1796年)松平定信公により『楯無しのよろい』(市文化財)も奉納されています。

明治43年(1910年)不幸にして火災にあい、建造物、備品のほとんどを焼失しましたが、大正元年(1912年)再建され、現在に至っています。また、古来より歌枕にある転寝の森(うたたねのもり)は、当神社の飛地境内で、東へ300メートル程のところにあります。

 

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