紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

足長神社

『日本の神々』より
「 足長神社は桑原城跡の山腹に鎮座する。境内は古松・老杉に囲まれ、諏訪湖とその周辺を樹間に眺望 できる秀景の地である。祭神は足摩乳神で、諏訪上社の末社の一つとして、また、上桑原郷の産土神と して古くから崇敬されてきた。社記によれば、当社は初め足長・手長の両神を合祭し(手長の神はのちに 下桑郷に分祭)、荻をもって社宇の屋上を葺いたことがら「荻の宮」とも呼ばれたという。嘉禎四年(一二 三八)の『諏訪上社物忌令』にも「荻宮明神文珠 足長」とある。また、社記の由緒の項には、大同年間、諏 訪神社大祝有員(上社大祝の始祖)が当社を崇敬し、広大な社殿を建築して自らも近接地に居住したため、 その地を御曾儀平(みそぎだいら)と呼ぴ、有員の廟墓もあると記されている。
 例祭は、古くは十月二十七日、現在は十一月二十七日で、当日、参拝者にみかんを配る。
 当社の口頭伝承によれば、足長神は手長神を背負って諏訪湖で貝や魚をとったといい、また大きな長 いわらじを奉納すれば足長神が旅の安全を守ってくれるという。かつて人々は当社にわらじを奉納して 旅の安全を祈った。
 なお、江戸時代、地元の上桑原村では、諏訪上社の御柱祭に「高島藩家老騎馬行列」を奉納していた が、明治四年の廃藩後、同五年からは足長神社に奉納するようになり、今日に至っている。旧村社。

       -『日本の神々』-   」