2024-03-13から1日間の記事一覧
芭蕉七泊八日の旅日記 元禄二年(一六八九)の 春、俳人、松尾芭蕉は、門人・河合曽良とともに、 江戸深川から、大垣まで 六百里(约二四〇〇キ口)に亘る「おくのほそ道」の 旅に出ました。 芭蕉四六歲、曾良四一歳のときです。 行程のほとんどが未知 の地であ…
十念寺(浄土宗) 文禄元年(一五九ニ年)善竜上人の開山で ある。芭蕉が、「奥の細道」の 旅で須賀川に滞在しここの寺 に詣でたことで知られる。政二年須賀川の女流俳人市原 多代女によって、「風流のはじ めや奥の田植唄」の碑が建立されてある。 また、多代女…
「奥の細道碑」について 「宗祇戾(そうぎもどし)』(柿衛文庫蔵)は、宝暦四(一七五四)年、白河の俳人 和知風光が編集した俳句の本。挿図に松尾芭蕉の肖像と諏訪明神(神館神社)に 奉納されていた芭蕉真筆の句として 「うらみせて涼しき瀧の心哉」 に説明を加え…
案内板 「 総 鎮守 神炊館(おたきや)神社 社記 御祭神 建美依米命・建許呂命·建美名方命・八坂止売命 愛田別命・宇迦魂命(朝日稲荷神社より遷座) 祭日 元旦祭 一月一日(しめ納め一月七日) 春祭五月八日 秋祭九月第二土曜(例大祭 御鋒巴特殊神事) 日曜(渡御祭…
案内板 「 相楽等躬(さがらとうきゅう) 寛永十四年(一六三七)~正德五年(一七一五) 通称伊左衛門 別号 乍憚、乍憚斎、藤躬 相楽家は、中世白河の領主、結城氏の子孫にあ たる郷士の家柄です。 等躬は、問屋業を営む豪商であり、陸奥の歌枕 や各地の俳人などの…
円谷英二 1901(明治34)年-1970(昭和45)年 円谷英二(本名英一)は、当地須賀川市中町 15番地(当時西6丁目2番地) に、代々、 糀業を営む大東屋に生れる。その日は、大空 に満点の星が輝く七夕であった。小学生の時、 祖母が土蔵の2階を英二の部屋に改装してく …
可伸庵跡 元禄二年(一六八九)四月二十二日(陽曆六月九日)、松尾芭蕉と門人の河合曾良は、おくのほそ道の旅の途中 で、旧知の仲にあった相楽等躬を訪ねました。須賀川に は八日間滞在し、近隣の寺社仏閣を訪れ、また地元の排人たちとの俳諧を楽しみました。 …
TSUBURAYA KOKICHI history 円谷幸吉の歩み 1940年(昭和15年)5月13日に、父幸七、母ミツの六男、 7人兄弟の末子として、福島県須賀川市大町に生まれる。 1、呼ばれたら返事を 2.人には挨拶を 3、履き物を揃える(整理、整頓) 4、自分のことは自分でする を躾…
芭蕉七泊八日の旅日記 元禄二年(一六八九)の 春、俳人、松尾芭蕉は、門人・河合曽良とともに、 江戸深川から、大垣まで 六百里(约二四〇〇キ口)に亘る「おくのほそ道」の 旅に出ました。 芭蕉四六歲、曾良四一歳のときです。 行程のほとんどが未知 の地であ…