紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

須賀川 神炊館神社

案内板

「   総

鎮守 神炊館(おたきや)神社 社記

御祭神 建美依米命・建許呂命·建美名方命・八坂止売命 愛田別命・宇迦魂命(朝日稲荷神社より遷座)

祭日 元旦祭 一月一日(しめ納め一月七日) 春祭五月八日

秋祭九月第二土曜(例大祭 御鋒巴特殊神事) 日曜(渡御祭)

境内末社 市神稻荷(三八)神社・天満神社松尾神社 石清水八幡神社・青麻神社・本馬稻荷神社

由緒

主祭神は建美依米命。同命は、成務天皇の御 代に初代石背国造として当地に赴任しました。 着任するや、社壇を築き収穫された新穀を炊い で天神地祇に捧げて政治の成功を祈願しました。 社名はこの故事に由来しています。その場所

(元西川茶畑町)は、「社壇様」と呼ばれまし 後に社殿が築かれ「神館神社」と名づ けられました。

後世当地を支配した二階堂氏は、城郭内に派 訪社を建立し建美名方命を勧請しました。須賀

川落城後、慶長三(一五九八)年に新たに両神 社を併せた社殿が造営され、諏訪大明神と称さ れました。会津主上杉景勝公は当社を手厚く 庇護し、北門の石鳥居 (東日本大震災により倒 後)を寄進しました。正德二(一七一二)年、 正一位の神階を授けられ、「岩瀬総社諏訪大明神」を称し、末社は郡内八十社に及びました。 松尾芭蕉が「奥の細道」行脚の途次、当神社 を参拝したのは、元禄二(一六八九)年四月二 十八日でした。(「曾良随行日記」)

明治十一(一八七八)年現在の社名に改称、 須賀川町の総鎮守となり、現在に至っています。

      神炊館神社社務所   」