案内板
「 相楽等躬(さがらとうきゅう)
寛永十四年(一六三七)~正德五年(一七一五)
通称伊左衛門 別号 乍憚、乍憚斎、藤躬
相楽家は、中世白河の領主、結城氏の子孫にあ たる郷士の家柄です。
等躬は、問屋業を営む豪商であり、陸奥の歌枕 や各地の俳人などの情報にも精通する須賀川俳壇 の中心的人物でした。
元禄二年(一六八九)、松尾芭蕉は「おくのほ
そ道」の旅の途中、かねてから親交のあった等
躬を訪ね、八日間の長逗留において、須賀川の
人々や景観に親しむなどして、この地で「風流の初や奥の田植えうた」などの句を残しています。
等躬の俳諧系譜は、その後、二階堂桃祖、藤井
晋流、石井雨考、市原多代女、山辺清民へと続
き、明治・大正期には道山壮山、矢部榾郎など 多くの俳人を輩出しながら、今に受け継がれて います。俳句のまち須賀川の礎を築いた等躬は、
平成三十年 五月十五日
須賀川市 」