1901(明治34)年-1970(昭和45)年
円谷英二(本名英一)は、当地須賀川市中町 15番地(当時西6丁目2番地) に、代々、 糀業を営む大東屋に生れる。その日は、大空 に満点の星が輝く七夕であった。小学生の時、 祖母が土蔵の2階を英二の部屋に改装してく れる。そこは英二の秘密基地となった。英二 は、ガラクタを持ち込んでは、飛行機や汽車 の模型作りに励み、子供用の映写機で遊んだ。 蔵にいないときは、決まって近くの長松院の 大銀杏によじ登って大空に夢をはせた。将来、 特殊撮影技術監督として羽ばたく発明家小僧 は、空想の翼を大きく大きく広げていた。
誰もが、子供の頃から抱きつづけている夢と ロマンの世界を、いくつかの映像を通して、 表現した、円谷英二。
彼の偉大なる 「愛と創造力」 に敬意を表して、 此処に記念碑を設置する。