紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-08から1日間の記事一覧

望月、駒の里

「まちむら交流きこう」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓古代信濃16牧の中心の望月の牧は、王朝文化人の間で「望月の駒」としてもてはやされ、その里は、はるかなる憧れの地でもあったのです。↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 長野県ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓望月の駒その昔、望月の牧(まき)は…

茂田井農村公園と諏訪神社

案内板 「 茂田井農村公園 この公園は、生活や生産の憩いの場、コミュニティ活動の場及び未来を担う子ども達が楽しく元気いっぱいに遊びまわり自然に親しみ、仲間と共に体力づくりや、健康の保持・増進に役立てるために整備したものです。*みんなで仲よく元…

芦田宿 蛇石様

案内板 「 蛇石(じゃいし)様 江戸時代末期頃から蛇石神社として石を覆うような社があったとされ、戦前までは清水家のくるわで四月にお祭りを行なっていた 蛇石様は夜泣きの神様として、米をおひねりにお参りすると乳呑児の夜泣きが治るとされた。現在は、ま…

芦田宿 蓼科の水

案内板 「 蓼科の水古来より、蓼科の山の湧き水は中山道を行き交う旅人ののどを潤してきました。 現在、この蓼科山の湧き水は上水道として整備され、立科町の水道水として利用されております。 」 貼り紙 「 凍結防止のため 冬期間使用禁止 」

芦田宿 ふるさと交流館

立科町ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓立科町ふるさと交流館「芦田宿」は、金融機関の建物を町が譲り受け、地域情報の発信、地域学習によるふるさと意識の高揚および人々の交流の促進を図り文化活動の拠点とするために平成16年に開館しました。その後、平成25年…

茂田井宿 金丸土屋旅館

案内板 「 金丸土屋旅館文化元年(1804 年)頃より旅籠屋で、軒の西側に『津ちや』東側に『土屋』の看板を掲げる、今も旅館を営む金丸土屋旅館。二階の部分が表通りに少し出ている出張り造りで腕木に彫刻、煙だしを持つ大屋根など多くの特徴を持っている。 」

茂田井宿 庄屋 山浦家

案内板 「 庄屋 山浦家庄屋跡の山浦家は慶長から明治年間に山浦権助 によって建築されたと云われている。 問屋としても その役割を担っていた。現在は、建物の老朽化により取り壊され、跡地の奥には土蔵のみ残っている。えがおのふれあい「芦田宿」保全・活…

茂田井宿 酢屋茂

酢屋茂ホームページ(wazawaza.shop-pro.jp)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓長野県立科町の老舗の醸造元 酢屋茂1892(明治25)年創業の酢屋茂(すやも)は、長野県立科町にある老舗の醸造元です。選び抜かれた良質な原材料を使用し、天然醸造という伝統的な製法で、味噌、醤油をつ…

芦田宿 脇本陣 山浦家

案内板 「 脇本陣 山浦家脇本陣跡の山浦家は始祖が芦田宿 開祖者の一人岩間忠助(1597年)であり、本陣跡の向かいに位置し参勤交代等の際中山道の宿泊施設及び問屋としてその役割を担っておた。 昭和五十二年に隣家からの火災により主家は焼失し現在は土蔵一…

欄間の透かし彫り・ 組子細工 ・ 書院造り ・上段の間・ 小姓部屋

欄間の透かし彫り 「ワゴコロ」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓欄間(らんま)とは、和室の障子やふすまなどをすえつけるために、上にわたしてある横木の部分である、天井の鴨居かもいとの開口部にはめこまれた建具のことです。主に季節の風を運び、光を通すために設けられまし…

頭貫・肘木

頭貫(かしらぬき) 社寺建築の豆知識より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓頭貫(かしらぬき)柱の上部側の端の一部を掘り下げ、そこに横木を落とし込んで柱間を繋ぐ構造です。↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 頭貫 「けんけんちくちく」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓頭貫(かしらぬき)この部材は、柱の一番上に用いら…

蟇股(かえるまた)

蟇股(かえるまた) コトバンクより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓和様建築で,梁や頭貫 (かしらぬき) 上にあって上の荷重を支える材。蛙股とも書く。梁上にあるものは厚い板状でこれを板蟇股という。平安時代からカエルが足を開いたような形のものができ,これを本蟇股という。初…

破風(はふ)

破風(はふ) Shikishima-Townより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓破風とは、屋根の妻側の端の部分のことを指します。 そして、そこに取り付けられている板のことを破風板と言います。 伝統的な建物では、彫刻を施した板が貼り付けられて装飾性を持っていましたが、現在の建物では…

懸魚(げぎょ)

懸魚(げぎょ) コトバンクより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓建築装飾の一つ。中国や日本の建築で,破風 (はふ) の下部内側またはその左右に六葉といわれる金属製や木製の栓で取付け,棟木や桁の先を隠すための飾り板。形により梅鉢懸魚,猪目 (いのめ) 懸魚,かぶら懸魚,三花懸…

唐破風

唐破風 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓唐破風(からはふ)とは、日本の城郭建築などにみられる頭部に丸みをつけて造形した破風の一種。唐と付くが日本特有の建築技法である。種類 唐破風には軒唐破風と向唐破風の二種がある。 軒唐破風 軒唐破風は屋根本体の軒先を…

桟瓦葺

桟瓦葺 「京風家改修用語集」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓桟瓦で葺いた葺き工法をいう。 1650年ごろ それまでは、本葺の瓦しかなかったが、本瓦から発展し、丸瓦と平瓦が、一体になったものができた これを桟瓦といい これで葺かれた瓦葺を、桟瓦葺という。 普通の現在の…

妻入り

妻入りとは 「神社人」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓現在、神社は社殿を持つことが当たり前になっています。これは、仏教の影響によるものではありますが、実際には、その建築様式にも様々なものがあり、これもひとつの見所と言うことができます。先ずは、各部位についてで…

切妻造

切妻造 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓切妻造(きりづまづくり)とは屋根形状のひとつで屋根の最頂部の棟から地上に向かって二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根。 広義には当該屋根形式をもつ建築物のことを指す。 切妻屋根ともいう。 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

芦田宿 本陣跡

案内板 「 県宝 旧芦田宿本陣土屋家住宅 昭和63年8月18日 指定 土屋家は、慶長初期に中山道芦田宿が設置されたとき、その開発に従事するとともに本陣をおおせつかり、明治に至るまで、代々勤めた。 江戸時代後期における土屋家は、客殿(きゃくでん)、主屋(お…

芦田宿案内板

案内板 「 芦田宿(あしだじゅく) 慶長年間、徳川幕府によってつくられた中山道は、近世五街道のひとつであり、江戸と京都の交流を結ぶ役を果たしていた。 芦田宿は中山道二十六番目の宿として、宿の町並みは、六町二十間(約七〇〇メートル)文化元年(一八〇四…

茂田井の一里塚跡

案内板 「 立科町文化財 一里塚跡(茂田井) 一里塚 は、信長の時代に設けられ、徳川家康・秀忠が引きついで慶長九年(1604)に完成した。(慶長見聞集) 中国で路の側に一里毎に土を盛り、その崩れ去るのを防いでエンジュの木を植え旅人に木陰をあたえたと…

茂田井宿 石割坂

案内板 「 石割坂 勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったが、その石を割り中山道を開通させたので石割坂と呼ばれている。茂田井間の宿保全・活性化事業実行委員会 」

茂田井村上組高札場跡

案内板 「 茂田井村上組高札場跡 江戸時代、庶民に法令を徹底させるため、高札 が掲げられた。 高札場 は名主宅前に設けられることが多い。 茂田井村は戸数が多く、上組、下組と二人の名主がいた時代があり、ここ上組名主宅前に上組高札場があった。茂田井間…

茂田井 間の宿

案内板 「 茂田井間の宿(もたいあいのしゅく) 慶長年間、徳川幕府によってつくられた中山道は、近世五街道のひとつであり、江戸と京都の交流を結ぶ役を果たしていた。 茂田井間の宿は、望月宿と芦田宿の間に位置し、旅人の休み処としての機能を持ち、多くの…

茂田井村下組高札場跡

案内板 「 茂田井村下組高札場跡 江戸時代、庶民に法令を徹底させるため、ここに高札を掲げた。高札場は名主宅前に設けられることが多い。 大澤家は元文二年(一七三七)より明治四年(一八七一)に至るまで茂田井村なぬしを勤め、元治元年(一八六四)十一月十九…

茂田井宿 蔦屋(名主の館 大澤酒造)

nagareki.comより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓大澤酒造(茂田井宿)概要: 大澤家は寛文10年(1670)に当地に土着し、元文2年(1737)から明治4年(1872)まで茂田井村の名主を務めた家柄です。茂田井宿は正式な宿場町ではない間宿で本陣が設けられなかった事…

茂田井宿 叶屋(武重本家酒造)(国指定有形文化財)

武重本家酒造株式会社ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓長野県の佐久地方、中仙道望月宿と芦田宿のちょうど中間点 旧中仙道沿いの昔ながらの街並 なんとなく時間がゆっくりと流れるようなたたずまいの中 お酒をゆっくり、ゆっくりと醸しております「武重家住宅及び…

茂田井宿 神明社

案内板 「 神明社 祭神は天照大神、雨乞いの霊験として崇拝されている。 宝永六年(一七〇九)茂田井村初代名主となった大澤茂右衛門が願主となり建立された。 本殿は神明造りで、 この地方では珍しいものである。 茂田井間の宿保全・ 活性化事業実行委員会」

中山道茂田井入口

案内板 「 中山道茂田井入口 望月宿を抜けると中山道は茂田井に至っている茂田井は、東の望月宿と西の茂田宿の間にある日村で、現在は間の宿とも呼ばれている。ここは茂田井への入口で、坂を下りはじめると、江戸時代の面影の残る民家や造り酒屋が軒を連ねて…

大森小児科医院(御本陣)

JA佐久浅間ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 郷土探訪 【佐久市】中山道望月宿(佐久市望月)中山道望月宿は江戸から25番目の宿場町で、街道沿いには、格子戸やうだつ、出桁造りの旧家や土蔵など、情緒ある町並みが残されており、宿場町の面影を今に伝えています…