案内板
「 口を開けて子等 守山あたり
その様子を『奥の細道吟行』に次のように記している。
私どもも七月七日守山に向かう。新暦で七夕を祭る家もある とみえて子供たちが竹を担いで通る。
芭蕉の通った旧道を岩作あたりでカメラに収める。 野茨は実になったものが多いが枝先の方はまだ白い花を留 めている。旧道は青田の中をうねって、道ぞいに野茨をちり ばめているのである。右の方はるかにそびえているのが 雲水嶺であろう。霊山にこもる前、北畠氏のいた山だという。 守山の宿の入り口が杉の木立の間から見えてくる。 田から昼餉にもどる人々に逢う。
岩作の辺り
このあと楸邨は芭蕉の跡をたどり、大元明王(田村神社) へと向かっている。大元明王付近での太った老人と痩せた 老人との会話が面白い。そして「口をあけて子等」の最後の 部分をこう結んでいる。
野茨どこかに匂はせ口を開けて子等 楸邨
平成三十年七月七日
平成三十年度公益信託うつくしま基金助成事業 」