案内板
「 芭蕉句碑
『春もやや 気色ととのふ 月と梅』
元禄6(1693)年1月中旬、許六(注1)の江戸旅亭(井伊藩邸の 中にあった)で描いた俳画の画賛。
許六の『旅館日記』では『梅月』と題されている。この梅が紅梅 である事は『紅梅の画賛也』 とある 『続猿養』 他に収められている 事からわかる。
当山との関連は不明だが、金沢の門弟北枝(注2)の逝去と関係 があるとみられる。
,大正四年建立、自然石に流麗な筆致で刻まれていたが、風化 して剥落が激しく近年文字が読めなくなって来た為、昭和57年 花崗岩の石板に刻み直し埋め込んだ。歌人黒田桜園筆。
注1 森川許六(1656~1715)本名百仲、通称五介。彦根藩士。 芭蕉十哲の一人で六芸に通じ屈指の論客。絵では芭蕉の師。 『統旅養集卷之下 春の部 梅附柳』
注2 立花北枝(?~1718)研屋源四郎。金沢の刀研師。
芭蕉十哲の一人で北陸蕉門の重鎮。『奥の細道』紀行中の 芭蕉を金沢に迎え、兄牧童と入門。体調を崩し芭蕉に同行 できなくなった良に代わって越前松岡まで送っている。 『山中間答』『卯辰集』など 」