二度目の中山道29日目の3
2020年3月21日(土)の3
2019年に二度目の東海道を歩いたときに同じルートを歩いています。その時のブログはこちら
二度目の東海道20日目の3(大津市に入り大津駅まで)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/02/08/104556
【月輪村】
9:47 月輪大池 南約一粁
9:48 月輪自治会館 月輪地名由来
碑 左面「月輪」
碑 正面
「 月輪池に由来する地名で、この池に映った美しい月の姿からなづけられたとも、月輪殿九条兼実の庄園内にあったともいわれます。元来は原野でしたが、江戸時代にはいって開墾がすすめられ、延宝四年(一六七六)大萱(おおがや)新田となり、明治七年(一八七四)月輪村と改称されました。 」
9:49 月輪寺門前
9:51 立場跡
【ちりんさん】
10:06 ちりんさんの案内板
案内板
「 大江の千里(ちりんさん)
大江の地を荘園として持っていたと伝えられる『大江の千里』は平安時代前期の歌人で、三十六歌仙のひとりとして、また、百人一首の第二十三首の歌人として著名な人である。
その奥方がこの地に住まいしていた。
村人はその跡地に野上神社(現在は御霊神社のお旅所)を建て、その遺徳を偲んだといわれている。
第二十三首
『月見れば千々にものこそ悲しけれ
我が身ひとつの秋にあらねど』
瀬田学区自治連・勢多歩こう会 」
この案内板を読んで、2019年に二度目の東海道でここに来たとき、歌人と言えば宮廷に出入りする、インテリ、ハイソで庶民とはかけ離れていたのかと思いきや、地元の人々にちりんさん、と呼び親しまれていた、というのは意外だな、と思いました。
大江千里の住居跡はこのすぐ近くなのですが、過去三回ここを通ったときはパスしてしまいました。
今日は4回目にして初めて街道を離れて大江千里の邸跡を訪ねてみました。
わりとすぐでした。
10:07 野上社旧跡
大津市大江東児童公園内の、野神社旧跡。ここは三十六歌仙の一人、大江千里の住居跡です。
児童公園の奥手に、そこだけ異質な石塔群があり、そこが野神社旧跡。そして、そこが大江千里の邸跡。
平泉を訪ねたときのような、
「夏草やつはものどもが夢の跡」
のような感慨はないのですが、時の流れは残酷でもあり優しくもあり、私たちが歴史というものに思いを馳せるにはちょうどいいシンボルだと思いました。
10:18 髯題目
荒れ果てた場所にポツンと髯題目。どんな謂れがあるのでしょうか。
10:23 道祖神の由来
案内板
「 道祖神の由来
この祠には、向かって右側『道祖神』、左側に『大日如来石仏』をお祀りしています。
前の通路は、旧東海道で古来より交通の要所として賑やかな日々だったと思われます。 平成28年12月に祠を新調し、それまで奥田忠雄宅軒下に祀られていた『道祖神』と『大日如来石仏』を祭祀しました。
特に『道祖神』は頭部のみの石像でしたので、これも寄進者が新調されたものです。 古来より『道祖神』はその地域の発展・振興と安寧、子孫繁栄、交通安全の守り神とし て祀られています。
『大日如来石仏』は土地の人の話ではかなり昔、この地が河川?(沼地?)が氾濫した際に奥田宅付近に流れ着いたもので体長30cm×幅23cm×奥行10cmの小柄な石仏です。一般には地蔵菩薩石仏があちこちに祀られていますが、『大日如来石仏』は大変珍しく、年代不詳で道祖神と共にお祀りしていてので、この程移設して広く皆様の守り神仏として参詣願えれば幸甚です。
尚、道祖神と祠の費用は地元の有志の篤志金で新調されました。
平成29年2月吉日 」
【大場の桜】
10:27 大場の桜
案内板
「 この山桜は、樹齢約二百年の古木です。
旧東海道筋にあり毎年、美しい花を咲かせています。
旧東海道と芦浦街道との分岐点付近にあるこの木は、昔から現在まで人々の様子を見てきた古木です。
この桜は、江戸時代には参勤交代で、みやびやかな列をなして、毛槍を振り振り共奴を連れた大名行列が、仰々しく西に東に行きかっていたのを見つめていたことでしょう。
瀬田学区自治連合会
勢多歩こう会
瀬田文化振興会 」
こちらは、2019年にこの大場の桜を撮ったものです。
10:40 たにし飴製造元 辻末製菓舗
【瀬田の唐橋】
10:44 瀬田の唐橋
昨年も写真を撮ろうとしたら、自転車の人が通りましたが、今回も自転車が通りました。
2019年に二度目の東海道で唐橋を通って時に描いた、俵藤太のムカデ退治の絵です。
10:50 唐橋前踏切
阪急電車(ビール de 電車)が通りました。
10:51 逆縁之縁切地蔵菩薩
蓮如上人御影休息所碑
この碑がある場所は、旅籠伏見屋跡だそうです。
10:52 (浄土真宗仏光派)
中興了源上人後旧蹟
11:07 セブンイレブン大津石山駅前店でトイレをお借りして、バニラカスタードのシュークリームを食べました。
イートインスペースには、地元のおばさま方がおしゃべりで長居されていて、コロナ禍の今、危ないのではないかと危惧しました。
11:10 JR石山駅
この先、去年道の右側を歩いたら、歩道のアップダウンが激しく、次回もし来たら絶対左側を歩こうと思い、県外実際ひだりがわを歩いてみて、明らかに左側が楽だと検証できました。
【膳所城勢多口総門跡と桝形】
11:24 膳所城勢多口総門跡
11:25 桝形に進む
紅殻格子の家の前を桝形に進みます。
11:27 宮前踏切
【神社仏閣の多い道】
11:27 若宮八幡神社
11:30 日蓮宗妙福寺
11:30 瓦ヶ浜踏切
11:31 浄土真宗 専光寺
町並み
11:32 浄土真宗光源寺
この先の、2019年の二度目の東海道歩きの時休憩した「ぽっとらっく」はcloseでした。土曜日だからか、コロナ禍だからか。
11:33 篠津神社
11:40 大養寺山門
大養寺の掲示板に書いてあった説明によりますと、
「当寺の山門は、高禄又は由緒ある武家屋敷等の門で、膳所の六門(長屋門)の一つです。」
11:44 梅香山縁心寺
11:46 和田神社
11:50 突き当たりの寺(響忍寺)を右へ
11:54 石坐(いわい)神社
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創祀年代は不詳。社伝によると、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその4代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのが起源とされる。壬申の乱以降は表向きは八大竜王を祀っていたが、ひそかに天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子を祀ってきた。
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11:59 膳所城北総門跡
【義仲寺】
12:04 義仲寺
案内板
「 国指定史跡
義仲寺境内
(大津市馬場一丁目)
義仲寺(ぎちゅうじ)の名は、源義仲を葬った塚のあるところからきていますが、室町時代末に、佐々木六角(ろっかく)氏が建立したとの伝えがあります。
門を入ると左奥に、俳聖松尾芭蕉の墓と並んで、木曽義仲の供養塔が立っています。
『木曽殿と背中合わせの寒さかな』という著名な俳句は、芭蕉の門人又玄(ゆうげん)の作です。境内にはこの句をはじめ、芭蕉の辞世の句『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』など多くの句碑があります。また、巴御前を弔うために祭ったといわれる巴地蔵堂もあります。
昭和四二(一九六七)年一一月に国指定の史跡となりました。
今回は境内には入りませんでしたが、2019年6月18日には境内をじっくり観ました。こちらをご覧ください。
二度目の東海道20日目の3(大津市に入り大津駅まで)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/02/08/104556
2009年の初めての東海道のときは、義仲寺前に着たときにはもう夕刻で門が閉まっていたので、その時の絵がこちら。
二度目の東海道歩きで義仲寺境内を拝観した2019年6月18日には、芭蕉の花が咲いていました。
ここに来る度に思うのですが、何故大阪で亡くなった松尾芭蕉が故郷の伊賀上野ではなく、「木曽殿の隣に」と遺言したのか、不思議ですね。
12:09 石場踏切
この後、たくさんお寺があったのですが、写真を撮りませんでした。
【寺の多い大津宿】
12:17 浄土宗成覚寺
1219 浄土真宗清源寺
12:20 生水地蔵尊
12:21 滋賀県庁が見えました。
12:23 お茶屋さん 中川誠盛堂
12:23 京町三丁目交差点
12:24 浄土宗華階寺(けかいじ)
樹齢400年の大銀杏があるそうです。また、門から見える本堂前の庭園が綺麗です。
門前の碑には、
「俵藤太矢根地蔵尊」
「月見の石」
とありますが、門は開いていて庭園は見ることができましたが、柵があって中には入れず、俵藤太矢根地蔵尊と月見の石は見ることが出来ませんでした。
「 矢の根地蔵」には、こんな伝説があるそうです。
俵藤太が大百足を退治するときに、勝軍地蔵の加護を念じたところ、大百足を退治できたといいます。そこで俵藤太は百足を討ち取った大矢の根(鏃)で感謝の気持ちを込めて石に地蔵を刻み、安置したというお話です。
12:28 JR大津駅
12:38 近江牛OKAKI ビエラ大津店
近江牛ステーキ丼ランチを食べました。
大津駅13:40発に乗り、青春18きっぷで、米原~大垣~豊橋~浜松~熱海~大船
大船着は21:02で、夕食を食べてから帰宅しました。
二度目の中山道30日目(大津宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/082946
二度目の中山道六十九次歩き目次1(日本橋から横川駅)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/220947
絵手紙1(日本橋から塩名田宿)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/18/101022
二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003