案内板
「 瀧見不動堂由来
本尊不動明王藝大師御作
御丈二尺
今は昔空海上人巡化して此地に来り稀有の霊だ此○りとして錫を畄められ(留められ)衆生済度し玉うこと年あり
遂に手づから不動明王の御像を彫刻なし御堂に安置し玉う時に大同三年四月八日なりとす名付けて瀧見山不動寺と称す。
其の後榊原忠次自河城主となるに及び御堂の修繕あり是より後代々の領主に於て修復を営まる慶安二年 榊原氏播磨の国姫路に移り本田忠義之に代るや御供田とて田壹反歩畑及山林の租を免ぜらる。
宝曆 十四甲申年六月朔日従四位下松平越中守源朝臣定賢之を復補し秦る火に文久元年二月吉祥日 阿部播磨守正耆朝臣之を修復し奉る 次に文久元年辛酉十一月吉祥日阿部播磨守正耆朝臣之を修復し奉る 慶応年間に至り廃寺となる。
是より先白河城主之年々、初鱒を献するの例あり。領主参拝せらるゝの時は別当里庄等途に迎えて歓待するの例たりき(竜崎区保○瀧見不動堂由来より)
昭和五十三年六月
竜崎氏子之建 」