案内板
「 連歌発祥の地
景行天皇の皇子日本武尊は、蝦夷制服の帰途、『日本書紀』によれば、常陸を経て甲斐国に入り、此処、酒折の宮にしばらく居られた。
着宮の夜、皇子が歌をもって、
新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
と問われたのに対し、ひ燭人(ともしびと)が
かがなべて夜には九夜日には十日を
と唱和した故事は有名である。
後世、連歌を『筑波の道』と呼ぶのもこれによるもので、歌体は片歌ながら、連歌の濫觴(らんしょう はじめ)とされており、当地を訪れた文人墨客が多かった。
昭和六十一年七月 小野成三奉納 」