紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

白川城

Wikipediaより

 

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白川城は、中世、白河荘を拠点として陸奥国南部を支配した白河結城氏歴代の居城跡であり[1]1189年文治5年)、結城朝光源頼朝より白川の地を与えられた。その孫、結城祐広は、1289年頃にこの地に移住して、白川城を居城とした。正確な築城年代はわかっていないが、『白河風土記』(1805年文化2年))では「列封略伝等も祐広を白川城跡の始めと記しぬ」とし、白川城を本拠としていたと記している。室町時代には奥州南部から北関東まで勢力を拡大したが、1510年永正7年)、惣領の結城政朝が一族の小峰氏によって追放され(永正の変)、小峰氏の血統による新たな白河結城氏が成立した。また、この時期に結城氏の本拠も白川城から小峰城に移ったとされる。1575年天正3年)、小峰義親が宗家の義顕を追放した(天正の変)際に本拠が移されたともいわれる。1590年天正18年)の奥羽仕置で白河結城氏は改易、約400年に及ぶ南奥支配は終焉を迎えた。白河結城氏の衰退と共に、白川城は廃城となった。正確な廃城年代もわかっていない。

 

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