紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-17から1日間の記事一覧

すや本店

すや本店すや本店 中津川観光協会公式Webサイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓栗菓子のふるさと中津川市で江戸時代より続く老舗”すや”。栗とほんの少しの砂糖で作られる栗きんとんや、栗こごり、栗羊羹など、変わらぬ味をお届けいたします。 美濃中津川、町の中を旧中山道が…

高札場跡(茶屋坂)

高札場跡(茶屋坂) 案内板 「 高札場について 江戸時代には、禁制、法令等(制札)を板札に墨書きし、民衆の注目を引きやすい所に掲げて、その周知を図りました。 この制札(高札)を建てた場所を高札場といい、中津川宿での高札場は茶屋坂にありました。 その位…

中山道中津川宿

中津川宿案内板 案内板 「 中山道ぎふ17宿江戸日本橋から京都三条大橋まで六十九宿〔百三十五里二十四町八間(約五百三十二キロ)〕。この中山道の四分の一相当の百二十八キロが美濃国、つまり岐阜県です。十六の宿場を持つ美濃中山道は、山間を通る道程で木々…

元矩碑

元矩碑 案内板 「 (1) 元矩碑(もとのりひ)間半兵衛元矩(はざまはんべえもとのり)が詠じた歌詞を取り入れ、七代 間鷲郎(わしろう)が親族一同に図り(はかり)父の三年祭に当る、明治27年(1894年)8月26日に建てた顕彰碑(けんしょうひ)であります。 (ひとやね に …

芭蕉句碑(すみれ塚)

芭蕉句碑(すみれ塚)案内板 「 (3) 芭蕉句碑(俗称すみれ塚) 山路来て 何や羅遊(らゆ)かし 寿み連(すみれ)草 はせを松尾芭蕉の句。貞享2年(1685年)の3月27日ごろの吟。前書きに『京都より大津に出る道山路をこえて』と『甲子(きのえね)吟行 別名 野ざらし紀行…

尾州白木改番所跡

尾州白木改番所跡 案内板 「 尾州白木改番所跡(びしゅうしらきあらためばんしょあと) 中山道には木曽から伐採した細目を監視する尾州(尾張藩)の番所が設けられていました。 この中津川市上金の地にあった『尾州白木改番所跡』は、天明二年(一七八二)に建てら…

中山道上金かいわい

「中山道 上金かいわい」 案内板 「 歴史の道 中山道 中山道上金かいわい この付近は江戸時代、上金村と呼ばれ中津川村の支村であった。 『濃州徇行記』「寛政七年」(1795)には、石高六七石余りの小村で、家数十八戸、人口八五人、民家は街道左右に散在し…

子野の石仏石塔群 道祖神

道祖神(反対側の階段下) 案内板 「 道祖神(どうそしん)文化14年8月(1817) 村中 道祖神は道を守る神様です。 ここにある道祖神にも、それぞれの行き先が刻まれています。『右ハ山みち 左 中山道』と刻まれていますが、風化が進み、読むのが難しくなっています…

弘法大師

十一面観音(向かって左) 弘法大師(向かって右) 案内板 「 弘法大師(こうぼうたいし) 弘法堂は大正12年(1923年)関東大震災のあと、被害者の冥福を祈り弘法様をお祀りして、子野村の人たちの幸せと災害がないことを祈願しました。 弘法大師は空海のことで、大…

子野の石仏石塔群 地蔵尊

地蔵尊 案内板 「 地蔵尊(じぞうそん) 親しみを込めて『お地蔵さん』、『お地蔵様』と呼ばれています。 ここにあるお地蔵様は、江戸時代に中山道を整備した時、地蔵堂川の橋のたもとにあったものをここに移したと言われています。 『子供の守り神』として信…

馬頭観音

馬頭観音 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 馬頭観音 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓馬頭観音(ばとうかんのん、梵: हयग्रीव、hayagrīva、ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一…

子野の地蔵堂石仏群

案内板 「 子野の地蔵堂石仏群 昔このあたりに地蔵堂があったといわれますが所在は明らかではありません。 中山道を通る旅人の心を和ませたといわれるしだれ桜の名木が境内にあり、街道まで枝が延びて趣があります。 ここは無縁の石仏を集めた所とも伝えられ…

地蔵尊

地蔵菩薩とは wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられ…

子野の石仏石塔群 如意輪観音(にょいりんかんのん)

如意輪観音(向かって左) 聖観音 (真ん中) 六字名号塔 (向かって右) 案内板 「 如意輪観音(にょいりんかんのん) 農民たちは、肘をつき手のひらを頬にあて、あたかも痛んだ歯を押さえている姿なので、虫歯が痛むときにはお参りすれば治してくれる仏様と信じ参…

子野の石仏石塔群 徳本名号塔

徳本名号塔 案内板 「 徳本名号塔(とくほんみょうごうとう)徳本上人が子野村の地に念仏行者として現れ、ここに住む農民に徳本講を教えた。 農民たちは大変喜び徳本名号塔を貧しい生活の中で、お金を出し合い立てました。 徳本上人は厳しい修行を行いながら『…

子野の石仏石塔群の庚申塔、慈母観音

庚申塔 案内板 「 庚申塔 庚申は、暦の上では60日に一度回ってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして健康長寿を願う信仰です。道のほとりに塚を築いて、供物をして、往来の旅人にいたるまで供え物をして与えて、庚申様のお祭りをしたそうです。 」 慈母…

子野の石仏石塔群

案内板 「 子野 石仏群地元の人たちは、ここを『とっこん様』と呼んでいる。 『徳本上人の念仏碑』があり、徳本さまがなまって『とっこん様』になった。 ここの石仏は中山道沿いにあった石仏を集めたと言われている。 子供が 境内には、樹齢350年のしだれ桜…

御嶽神社 覚明霊神社

御嶽神社 覚明霊神社 「開山覚明霊神百五十年祭碑」 komainu.orgより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓覚明神社(中津川市子野)覚明とは御嶽山への通路を開き、頂上にて大往生を遂げたと伝えられている行者さんで、天明5年(1785)5月5日に木曽御嶽山を開くため中山道を通り、ここ…

与坂立場跡・与坂御番所跡

案内板 「 立場跡・与坂御番所 ここ与坂の立場には「越前屋」という茶屋があり、米の粉の餅に黒砂糖を煮詰めて塗った三文餅を売っていた。 また、このあたりに白木(ひのき・さわら・ねずこ・こうやまき・あすなろ等)を取り締まる与坂御番所が置かれていた…

水戸浪士 熊谷三郎の墓 この先30m

水戸浪士 熊谷三郎の墓 この先30m 案内板 「 水戸浪士 熊谷三郎の墓 幕末に水戸藩内一派「天狗党」が、攘夷貫徹を訴えるために、京都をめざし落合宿 を通過したおり党紀に違反した熊谷三郎 が惨殺された。 それを哀れんだ地元の人々により西山墓地に葬り墓碑…

落合五郎兼行の案内板(お伽藍神社下)

落合五郎兼行の案内板(お伽藍神社下) 案内板 「 落合五郎兼行 平安時代の終わり頃、木曽義仲の家来であった落合五郎兼行が美濃口の押さえとして、落合に館を構えていたと言われている。 落合五郎兼行は、平家物語巻七寿永二年(一、一八三)、五月の『火打ち合…

善昌寺 門冠の松

善昌寺 門冠の松 案内板 「 善昌寺の「門冠の松」・この松は、創建当時の山門を 覆っていたことから門冠の松 と呼ばれている。 ・道路新設拡巾・寺の移転等で 根が痛めつけられて来たのか、 凡そ四五〇年の年を経ていると いわれているが、さほど大きく なく…

落合宿 たすけあいの釜

たすけあいの釜 gifureki.comより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓助け合い大釜(落合宿)概要: 大釜(容量1000リトッル、口径約1.5M)は、元々「寒天」の原料である天草を煮る時に利用したものです。文久元年(1861)、皇女和宮が江戸に下向する際、4日間で約26…

落合宿

案内板 「 歴史の道 中山道 落合宿 落合宿は江戸から82里12町(約323km)京から52里9町(約205km)の位置にある、江戸日本橋から数えて44番目の宿場町である。落合宿は、江戸側から横町、上町(かんまち)、中町、下町(しもまち)に分けられる。 落合宿の長さは、3…

落合本陣跡

落合宿本陣 中津川市観光情報サイトより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓中山道落合宿は、江戸から44番目の宿場町。落合宿本陣は中山道ぎふ17宿の中で唯一本陣が残っており、歴史の面影を感じることができます。往時の面影を残す貴重な建物であり、平成22年2月、国史跡中山道の一…

上町の秋葉様の常夜燈

上町の秋葉様の常夜燈 案内板 「 上町の秋葉様の「常夜燈」・宿場通りには、秋葉様の常夜燈 が 四基あり、戸ごとを回る当番により 灯をともし防火を祈ってきた。 ・寛政四年(1792)十二月に建てられ たが、明治十三年(1880)の道路 整備の際、三基は他所に…

落合橋の付替えと落合橋

落合橋の付替えと落合橋 案内板 「 歴史の道 中山道 中山道の付替と落合大橋 落合川にかかる下桁橋は、江戸時代には「大橋」とか「落合橋」と呼ばれ、少し下流にあったといわれています。 この橋が洪水により度々流失していたこと、またこの橋から医王寺まで…

山中薬師 狐こうやく

狐こうやく 案内板(後半) 「 又落合宿名物『狐膏薬』は薬師如来の夢のお告げで作られたと伝えられ、當時の看板― 御夢想 狐かうやく 十国峠 医王寺 も残っている。十返舎一九の木曽街道続膝栗毛六編下巻に 『サア サアお買いなさってござりませ當所の名宝〔狐…

山中薬師

山中薬師 案内板 「 山中薬師 浄土宗瑠璃山 医王寺當山はもと天台宗 の名刹として栄えたが戦国時代に兵乱にあい法燈は一時中絶したが天文十三年(1544)正誉存徹が再興し浄土宗に転じたという。本尊は薬師如来 で名僧行基 の作と伝えられる。 又奈良時代聖武…

落合の石畳

落合の石畳 案内板 「 国史跡 中山道 平成22年2月22日追加指定 落合の石畳 この石畳 は、中山道落合宿 と馬籠宿 の間にある十曲峠を歩きやすくするために、石を敷き並べたものです。 石畳がいつ頃に敷かれたのかは不明ですが『中山道宿村大概帳』には『馬籠…