紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

俳聖松尾芭蕉と黒羽

 

案内板
「  俳聖松尾芭蕉と黒羽

 元禄2年(1689年)に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、門人の曽良とともに『奥の細道』行脚の途中、黒羽の地を訪れ、旅程中もっとも長い14日間逗留し、知人や史跡を訪ね、つぎにむかう『みちのく』への準備期間をここで過ごした。宿泊先は、江戸において門人となっていた黒羽藩城代家老浄法寺高勝(桃雪)邸とその弟鹿子畑豊明(翠桃)邸であった。
 桃雪邸は黒羽城の三の丸にあった。黒羽城は南北約1.5キロ、東西約250メートルという県北最大規模の山城で、黒羽藩主大関氏の本拠であった。
 芭蕉は黒羽滞在中、桃雪邸に8泊している。その間、4月5日(陽暦5月23日)には雲巌寺に足をのばし、参禅の師、仏頂禅師の山居跡を訪れ、4月9日(陽暦5月27日)には余瀬の光明寺(修験道の寺院、明治初年に廃寺)を訪れた。芭蕉曽良は黒羽滞在中に多くの句を詠んでおり、各所に句碑が建てられている。
 現在でもこの地区の道路は、芭蕉が訪れた当時の面影を深く残しており、往時俳聖が辿った足跡を訪ねることができる地である。 」