案内板
「 松尾芭蕉と曽良は、元禄二年四月(陽暦五月二十二日 一六八九年)に浄法寺図書(俳号桃雪)に招かれた。『おくのほそ道』によれば『浄法寺館代浄法寺何がしの方に音信る(おとづる)。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語つゞけて云々』とある。一族をあげて歓待したのでずい分居心地がよかったのであろうか、黒羽で十三泊、あしかけ十四日の長逗留であった。わけても桃雪邸に八泊した。
芭蕉は桃雪のため次のような挨拶の句を詠んだ。
曽良の『俳諧書留』に
『秋鴉(しゅうあ)主人の佳景に対す
山も庭にうごきいるゝや夏ざしき
浄法寺図書何がしは、那須の郡みたちをものし預かり侍(はべ)りて、其私の住ける方もつきづきしういやしからず。
地は山の頂きにさゝへて、亭は東南のむかひて立てり。
奇峰乱山形をあらそひ、一髪寸碧(いっぱつすんぺき)絵にかきたるやうになん。水の音 鳥の声、松杉(しょうさん)のみどりも こまやかに、美景たくみを尽す。造化の功(いさお)のおほひなる事、またたのしからずや』
とある。桃雪主人の開け放した夏座敷に坐して、遠くの山や前の庭の佳景に対していると、山も庭も青々としてそよぎ、さながらこの座敷に入り込んでくるやうな躍動した空気が感じられる との意であろう。
芭蕉の里 くろばね 」