紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-03から1日間の記事一覧

栗が原・入道くぼ

案内板 「 栗が原 明治天皇御巡幸道路と中山道の別れる場所で、明治8年群馬県最初の『見回り方屯所』があった。これが交番の始まりである。 」 案内板 「 入道くぼ山中茶屋の入口に線刻の馬頭観音がある。これから、まごめ坂といって赤土のだらだら下りの道…

南向馬頭観世音・北向馬頭観世音・一里塚跡

案内板 「 南向馬頭観世音 この切り通しを南に出た途端に南側が絶壁となる。 昔、この付近は山賊が出たところと言われ、この険しい場所をすぎると、左手が岩場となり、そこにまた馬頭観世音が道端にある。 寛政三年十二月十九日 坂本宿 施主七之助 」 北向馬…

堀り切り

案内板 「 掘り切り 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所で、道は狭く両側が掘り切られている。 」 古い案内板 「 堀切両側が深い谷で道が狭く、小田原勢の○将大道寺政繁(○城主)がこの道を…

刎石茶屋跡・四軒茶屋跡

案内板 「 刎石茶屋跡ここに四軒の茶屋があった、 現在でも石垣や墓が残っている。 」 四軒茶屋跡 案内板 「 四軒茶屋跡(よんけんぢゃやあと)刎(はね)石山の頂上で昔こヽに四軒の茶屋があった屋敷跡である。今でも石垣が残っている。(力餅、わらび餅などが名…

風穴・弘法の井戸

案内板 「 風穴刎石溶岩のさけめから、水蒸気で湿った風が吹き出している穴が数ヵ所ある。」 案内板 「 弘法の井戸諸国をまわっていた弘法大師が刎石茶屋に水がないので、ここに井戸を掘ればよいと教えたと伝えられている霊水である。 」

上り地蔵 下り地蔵

案内板 「 上り地蔵下り地蔵 十返舎一九が『たび人の身をこにはたくなんじょみち、石のうすいのとうげなりとて』と・・・ その険阻な道は刎石坂である。刎石坂を登りつめたところに、この板碑のような地蔵があって旅人の安全を見つめていると ともに、幼児の…

柱状節理・刎石坂

案内板 「 柱状節理火成岩の冷却固結するとき、亀裂を生じ自然に四角または六角の柱状に割れたものである。 」 案内板 「 刎石坂刎石坂には多くの石造物があって、碓氷峠で一番の難所である。むかし芭蕉句碑もここにあったが、いまは坂本宿の上木戸に移され…

堂峰番所跡

案内板 「 堂峰番所 堂峰の見晴しのよい場所(坂本宿に向かって左側)の石垣の上に番所を構え、中山道をはさんで定附同心の住宅が二軒あった。関門は両方の谷がせまっている場所をさらに掘り切って道幅だけとした場所に設置された。現在でも門の土台石やその…

坂本宿 芭蕉句碑(安中市指定文化財)

案内板 「 安中市指定重要文化財 芭蕉句碑 江戸寛政年間(一七九〇年頃)坂本宿の俳人グループ竹睡庵連(ちくすいあんれん)が、春秋庵加舎白雄(しゅんじゅうきんかやしらお)先生に依頼し選句し書いてもらった句である。 高さ一、六七m・幅 基幅一、三七m・…

坂本宿 元旅籠「たかさごや」 (小林一茶の定宿)

案内板 「 小林一茶の定宿『たかさごや』 信濃国柏原が生んだ俳人小林一茶(一七六三~一八二七)は、郷土と江戸を往来するとき中山道を利用すると、「たかさごや」を定宿としていた。寛政・文政年間、坂本宿では俳諧・短歌が隆盛し、旅籠、商人の旦那衆はも…

坂本宿 元旅籠「つたや」(若山牧水宿泊の宿)

案内板 「 若山牧水宿泊の『つたや』碓氷峠にアプト式鉄道が開通してから十五年後の明治四十一年ごろになると、繁栄を極めた坂本宿もすっかり見る影を失い寂れてしまった。 この年の八月六日、牧水は軽井沢に遊んでから碓氷峠を超えて坂本に宿をとろうとした…

坂本宿 元旅籠「かぎや」

案内板 「 坂本宿のおもかげ残す『かぎや』 『かぎや』は坂本宿時代のおもかげを残す代表的な旅籠建物である。伝承によれば、およそ三百七十年前、高崎藩納戸約鍵番をしていた当武井家の先祖が坂本に移住し旅籠を営むにあたり役職にちなんで屋号を『かぎや』…

坂本宿 佐藤本陣跡

案内板 「 佐藤本陣跡坂本に二つある本陣のうち当本陣は、「佐藤本陣」また「上の本陣」と呼ばれていた。三代将軍家光は、寛永十九年(一六四二)譜代大名にも参勤交代 を義務づけた。そのため、文政年間では三十一大名が坂本宿を往来した。寛政二年八月八日…

坂本宿 「なかむらや」

案内板 「 『中村碓嶺(たいれい)』生誕の地『碓嶺』は、一七九〇年(安永九年)代々旅籠屋を営んでいる『中村屋』に生まれた。 姓は仁井田であるが、中村碓嶺と呼んでいる。坂本は碓氷嶺が迫る景勝の地であるので俳号もこれに因んでいるものと思われる。 坂本…

坂本宿 近藤屋

案内板 「 多才だった『武井九夏』『九夏』は、文化十二年(一八一五)ここ、『こんどうや』に生まれる。 幼いときから学問に励みその多才ぶりは以下の自伝でもうかがい知ることができる。われ七歳にして学問に入り、九歳にして歌俳諧に心ざし、十二歳より書画…

坂本宿下木戸跡

案内板 「 下木戸跡慶長七年(一六〇二)、江戸を中心とした街道整備が行なわれたとき五街道の一つとして江戸・京都を結ぶ中山道 百三十二里(約540k)が定められ、この間に六十九次の宿場ができた。その一つに坂本宿 が設けられ宿内の長さ三百九十二間(約…