紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

坂本宿 「なかむらや」

f:id:asiandream0804:20200526165921j:plain
案内板
「 『中村碓嶺(たいれい)』生誕の地

『碓嶺』は、一七九〇年(安永九年)代々旅籠屋を営んでいる『中村屋』に生まれた。
姓は仁井田であるが、中村碓嶺と呼んでいる。坂本は碓氷嶺が迫る景勝の地であるので俳号もこれに因んでいるものと思われる。
坂本宿は、街道文芸として俳諧・短歌が発達したので地元に多くの廃人が傑出した。
『碓嶺』は幼少よりこれらの影響を受け、四十数km離れた本庄に住む長庵に師事し遠路通ったという。そのため、めきめき頭角を表し当時、村上鬼城横綱とすれば、髙崎で西馬、坂本で碓嶺が両大関といわれるほどになった。
弘化三年(一八四六)没、六十七歳。辞世は、

明る夜を かくす雲なし 時鳥 」