紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

坂本宿 元旅籠「かぎや」

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案内板
「 坂本宿のおもかげ残す『かぎや』

 『かぎや』は坂本宿時代のおもかげを残す代表的な旅籠建物である。伝承によれば、およそ三百七十年前、高崎藩納戸約鍵番をしていた当武井家の先祖が坂本に移住し旅籠を営むにあたり役職にちなんで屋号を『かぎや』とつけたといわれる。まず目につくのは、家紋の雁金(かりがね)の下に『かぎや』と記した屋根看板である。上方や江戸に向かう旅人にわかり易く工夫されている。
屋根は社寺風の切妻、懸魚(けんぎょ又はげぎょ、屋根の破風に取りつけた装飾)があり、出梁の下には透かし彫刻が施されている。
 間口六間で玄関から入ると裏まで通じるように土間がある。奥行きは八畳二間に廊下、中庭をはさんで八畳二間、往還に面しては二階建て階下、階上とも格子戸である。
 宿場は街道文化の溜まり場である。坂本宿も俳句、短歌、狂歌をはじめとして、とりわけ天明・寛政のころは最盛期で馬子、飯盛女にいたるまで指を折って句をひねっていたという。当時の当主鍵屋幸右衛門は紅枝(べにし)と号し俳人としても傑出していた。 」