紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

坂本宿 佐藤本陣跡

f:id:asiandream0804:20200526165947j:plain
f:id:asiandream0804:20200526170053j:plain
f:id:asiandream0804:20200526170041j:plain
案内板
「 佐藤本陣跡

坂本に二つある本陣のうち当本陣は、「佐藤本陣」また「上の本陣」と呼ばれていた。三代将軍家光は、寛永十九年(一六四二)譜代大名にも参勤交代 を義務づけた。そのため、文政年間では三十一大名が坂本宿を往来した。寛政二年八月八日、坂本宿で加賀百万石といわれた松平加賀守が江戸へ信州松代真田右京大夫は帰国のため信州へで擦れ違いそれぞれ宿泊している。東に碓氷関所、西に碓氷峠がひかえているため坂本泊りが必然となり本陣が二軒必要だった。安政六年(一八五九)二月、安中藩主板倉主計頭が大阪御加番(大阪城警備)を命ぜられ登城するとき佐藤源左衛門と組頭の善左衛門は安中藩の役人宅にお祝いに参上している。そして、御本陣番(御休所)は佐藤甚左衛門宅(佐藤本陣)で、諸荷物の伝馬継ぎ立ては問屋番の金井三郎左衛門宅)金井本陣)である。宿割りは脇本陣はじめとして十六宿。板倉候はじめ藩士二百余名は、七月十七日朝五ッ半(午前九時)坂本に到着した。大名はじめ宮様、日光例幣使、茶壷道中で坂本宿はたいへんな賑わいであったがその反面難渋も少なくなかった。 」