紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-13から1日間の記事一覧

楢川歴史民俗資料館

楢川歴史民俗資料館 塩尻市観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 木曽の生活・暮らしを知る 鳥居峠の登山口にあるこの資料館には、木曽谷に暮らした人々の生活を偲ぶ数々の品物や生活道具が展示されています。 宿場当時の江戸時代から、明治〜大正〜昭和へと…

奈良井宿 鎮神社

鎮神社 案内板 「 鎮神社 shizumejinja shrine奈良井・川入の氏神で、祭神は経津主神(ふつぬしのかみ )寿永から文治(12世紀後期)のころ中原兼遠が鳥居峠に建立、天正年間(一五七三~九二)にいたり、奈良井氏が現在地に移したとつたえる。また、元和四年(一六…

奈良井宿 鎮神社

鎮神社 案内板 「 鎮神社 shizumejinja shrine奈良井・川入の氏神で、祭神は経津主神(ふつぬしのかみ )寿永から文治(12世紀後期)のころ中原兼遠が鳥居峠に建立、天正年間(一五七三~九二)にいたり、奈良井氏が現在地に移したとつたえる。また、元和四年(一六…

奈良井宿 上問屋跡・上問屋資料館

上問屋跡・上問屋史料館 奈良井宿観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓国指定重要文化財 上問屋資料館は古文書・陶器・漆器など400点余りの諸道具を展示しており、国の重要文化財に指定されています。 昔宿駅には幕府の役人や諸大名・その他の旅行者用のため…

奈良井宿

案内板 「 国選定重要伝統的建造物群保存地区 長野県塩尻市奈良井 所在地 長野県塩尻市奈良井 面積 約17.6ha 選定年月日 昭和53年5月31日 奈良井宿は、戦国時代に武田氏の定めた宿駅となっており、集落の成立はさらに古いと考えられる。慶長7年(1602)江戸幕…

奈良井宿 丸山漆器店大谷石蔵

丸山漆器店大谷石蔵 塩尻市観光協会「時めぐり」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 奈良井駅北側に建ち、石造三階建、切妻造、妻入、桟瓦葺である。大谷石積みで栃木県宇都宮大谷から運び、石工を招いて建築された。妻にペディメント表し、2階と3階の妻面には石造の庇がついた…

木曾平沢

案内板 「国選定重要伝統的建造物群保存地区 長野県塩尻市木曾平沢 全国有数の漆器産地である木曽平沢は、北流する奈良井川が大きく湾曲した河川敷に発達した集落です。慶長3年(1598)、奈良井川の左岸にあった道が右岸に付け替えられ、この道沿いに居住する…

押込一里塚跡

案内板 「 押込一里塚 一里塚のある桃岡地区は、江戸時代に押込村に属していたため、押込一里塚と呼ばれた。 一里塚は京都から江戸までおよそ一里ごとに街道の両側に土を盛り上げて塚を築き、榎や松の木を植えて旅人の目安としたものであるというが、押込一…

贄川のトチ

案内板 「 長野県天然記念物 贄川のトチ 昭和四十四年七月三日指定トチは、トチノキ科・トチノキ属でヨーロッパ・北米・東南アジア等に約二十四首が知られているが、日本ではただ一種の落葉高木である。 北海道から九州北部まで広く分布し、山野に自生する。…

贄川宿 深澤家住宅

案内板 「 国重要文化財 深澤家住宅三棟 所在地 長野県塩尻市大字贄川 一六二二番地 所有者 深沢辰夫(千葉県流山市)主屋 桁行10.6メートル 梁間17.3メートル 二階建、切妻造、 東面便所及び廊下附属、鉄板葺 北蔵 土蔵造、桁行3.3メートル、 梁間9.1メートル…

贄川宿 麻衣廻(あさぎぬの)神社

案内板 「 麻衣廻(あさぎぬの)神社天慶年間(九三八〜九四七)に創立。天正十年(一五八二)に戦火により焼失し、元禄年間(一五九二〜九六)に現在の地に再建したと伝える。祭神は建御名方命で、毎年春の祭りに加え、六年目ごとの寅年と申年に御柱祭を行う。 観音…

贄川関所

塩尻市観光協会ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓贄川関所中山道の人と物の往来を監視するために置かれた贄川口留番所で、女改め、白木改めなどの役割を担った。 明治はじめに取り壊されたが、多くの文献をもとに昭和51年に復元された。 実際の場所は鉄道敷地内に…

若神子一里塚跡

案内板 「 若神子一里塚 塩尻市指定文化財 60.3.15. 楢川村文化財(史跡)指定 一里塚は、街道の里程の目安として一里ごとに道の両側に設置された塚で、榎や松が植えられ往時の旅人の休息の場ともなっていた。 この若神子一里塚は、中山道に設けられた一里塚の…

是より南木曽路の碑

案内板 「 是より南木曽路この地は木曽路の北の入口であり、江戸時代には尾張藩領の北境であった。石碑は、桜沢の藤屋百瀬栄が昭和一五年に建立。裏に「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ノ地ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」とある。 」

初期中山道説明板 木曾工芸の里峠越えのみち

初期中山道説明板 初期中山道 suwako.jp(諏訪湖周辺観光情報サイト)より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓初期中山道は、 下諏訪から牛首峠を通って桜沢に至るまでの全長約26kmの街道でした。 この初期中山道は作られてから約十数年で利用されなくなりました。↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 案内板(右…

本山宿 定光寺観音堂跡

常光寺観音堂跡 長野市市制100年記念事業郷土史より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓長野市共和村の常光寺岡田観音堂当観音堂は、本組の西、長塚山の東山麓、遠くむこうに菅平の山脈が望める高台にある。地元の人たちにお観音さんと呼ばれて親しまれ、昔は子供たちの遊び場所でも…

本山宿 長久寺・定光寺跡

案内板 「 長久寺・定光寺跡長久寺(金峰山長久寺 曹洞宗) 天正年間に奈良井義高 が開基し、開山は長興寺三代の康翁寿泰大和尚、二世は充澤普和尚で、勢州渡会郡小林氏と縁あって当所へ来たる、と記されている。正徳三年(1713)には、千九百坪の地内に、客…

本山口留番所跡

案内板 「 本山口留番所跡寛永十九年(1642)から幕末まで、松本藩によって口留番所 が置かれた。なお享和十一年(1726)から延享元年(1744)の十七年間は、塩尻組が幕府直轄領であったため、村井宿 に口留番所が置かれた。 」 口留番所 wikipediaより↓↓↓↓↓…

中山道 本山宿

案内板 「 中山道 本山宿 和銅五年(713)に開通した吉蘇路 において、本山は木曽谷から松本へ向かう重要な位置にあった。中世には東山頂に本山城が築かれ、ふもとに本山氏の館(本陣付近)や根小屋から宿場の原型となる集落が形成されていった。 関ヶ原の戦…

下問屋跡

案内板 「 下問屋跡 明治六年、下問屋跡地に清行学校が創設された。廃寺になった長久寺の材木が使われ、 42坪の建坪であった。 明治八年には本山学校に改称され、57坪に増築された。 明治十三年の天皇行幸の際は、警護詰所に使われた。 本山学校は明治十九年…

本山宿 旅籠川口屋・池田屋・若松屋

旅籠川口屋 池田屋 若松屋 案内板 「 国の登録有形文化財 川口屋・池田屋・若松屋川口屋 小林家住宅主屋 桁行12m、梁間9・9m 二階全面千本格子を通し、両端に袖うだつを設け、一階に式台を構える。 二重出梁は、贄川宿 の深澤家住宅(国重要文化財)以外では…

本山宿 そば切り発祥の地

案内板 「 本山宿 そば切り発祥の地 中山道本山宿のそば切りは古くから様々な文献に紹介された。 『そば切りといっぱ もと信濃ノ国本山宿より出て あまねく国々にもてはやされける』 風俗文選 森山許六 宝永三年(1706) 『本山のそば 名物と誰も知る 荷物をこ…

本山宿下町石造群

案内板 「 本山宿下町石造群庚申塔 一基 供養塔 二十三夜塔 南無阿弥陀仏 文化二年 地蔵尊 二体 南無阿弥陀仏 徳本上人 文政二年 馬頭観音 馬持中 二体 道祖神 寛政二年 常夜燈 秋葉神社秋葉神社 これらは宿場北端の下木戸(池生神社入口付近)にあったもので…