案内板
「 小林一茶の定宿『たかさごや』
信濃国柏原が生んだ俳人小林一茶(一七六三~一八二七)は、郷土と江戸を往来するとき中山道を利用すると、「たかさごや」を定宿としていた。寛政・文政年間、坂本宿では俳諧・短歌が隆盛し、旅籠、商人の旦那衆はもとより馬子、飯盛女にいたるまで指を折って俳句に熱中したという。
それで、ひとたび一茶が『たかさごや』に草鞋を脱いだと聞くや近郷近在の同好者までかけつけ自作に批評をあおいだり、俳諧談義に華咲かせ、近くから聞こえる音曲の音とともに夜の更けることも忘れたにぎわいを彷彿させる。碓氷峠の刎石山の頂に『覗き』と呼ばれところがあって坂本宿を一望できる。一茶はここで次の句を残している。
坂本や 袂の下は 夕ひばり 」