案内板
「 下木戸跡
慶長七年(一六〇二)、江戸を中心とした街道整備が行なわれたとき五街道の一つとして江戸・京都を結ぶ中山道 百三十二里(約540k)が定められ、この間に六十九次の宿場ができた。その一つに坂本宿 が設けられ宿内の長さ三百九十二間(約七一三m)京都寄りと江戸寄りの両はずれに上木戸・下木戸が作られた。本木戸は下木戸と称せられ当時の設置場所に一部復元したものである。木戸は、軍事・防犯などの目的のため開閉は、明け六ツ(現在の午前六時)から暮れ六ツ(現在の午後六時)までであった。実際には木戸番が顔が識別できるころで判断したようである。文久元年の絵図によると、八間一尺巾(約一四、八m)の道路に川巾四尺(約一、三m)の用水路が中央にあり、その両側に本陣、脇本陣に旅籠、商家百六十軒がそれぞれ屋号看板をかかげ、その賑わいぶりは次の馬子唄からもうかがい知れる。
雨が降りゃこそ松井田泊まり
ふらにゃ越します坂本へ 」