紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

古河宿 高札場と本陣

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案内板
「  高札場と本陣

 日光道中の宿場町としての古河宿の中心は、もと二丁目と呼ばれたこの辺であった。文化四年(一八〇七)の古地図によると、高札場がこの場所にあり、斜め向かいに本陣と、問屋のうちの一軒があり、またその向かい側に脇本陣が二軒並んで描かれている。
 高札場は、幕府からの法令を掲げたところである。
 本陣と、その補助をする脇本陣は、合戦のとき大将の陣どるところに由来して、大名・旗本をはじめとして、高用役人・公卿・僧侶などの宿泊・休憩所で、古河の本陣は百十七・五坪(約四百平方メートル)もあった。本陣・脇本陣は最高の格式を誇っていたが、経営は大変であったといい、古河の脇本陣はのち他家に移っている。
 問屋は、人足二十五人、馬二十五疋を常備し、不足の場合は近村の応援を得たり人馬を雇ったりして、この宿を通行する旅人や荷物の運搬一切をとりしきった宿場役人のことで、他にも三~四軒あって、交代で業務にあたっていた。
 街道沿いの宿町は、南から原町、台町、一丁目、二丁目(二丁目曲の手 ※1)、横町(野木町 ※2)と続き、道巾は五間四尺(約十メートル)ほど、延長十七町五十五間(約千八百五十メートル)余あり、旅籠や茶店が軒を並べていた。

※1 江戸時代初期には、横町と呼ばれていた。
※2 江戸時代初期には、野木町と呼ばれていた。

 令和三年三月  

      古河市教育委員会