江戸寛政年間(一七九〇年頃)坂本宿の俳人グループ竹睡庵連(ちくすいあんれん)が、春秋庵加舎白雄(しゅんじゅうきんかやしらお)先生に依頼し選句し書いてもらった句である。
高さ一、六七m・幅 基幅一、三七m・頂部幅〇、六m・厚さ約〇、二m 石質は刎石(安山石)で刎石茶屋の下手にあったものを明治 明治年間に旧中山道が廃道となったため現在地に移転した。
書体は『筑羅様』で、句は紀行文『笈の小文』にあり、奈良の吉野山を訪れたときに詠んだものである。当時の宿駅文化の盛況を知る良い資料である。
ひとつ脱てうしろに負ひぬ衣かへ