紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

吹上『間の宿』

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案内板
「 吹上『間の宿』

中山道の街道筋にあたる吹上は、鴻巣と熊谷の『あいの宿』として発展した町ですが、江戸期、幕府公認の宿場ではありませんでした。
しかし、それにもかゝわらず重要視されたのは、日光東照宮を警護する武士たちの『日光火の番道』と、中山道が町の中心部で交差すること。また、鴻巣宿と熊谷宿の距離が長かったため、その中間に休憩する場所として『お休み本陣』や、馬次ぎの『立場』を設置する必要があったからです。
年に三〇家もの大名が江戸や国許へと行列を飾り、多くの文人や墨客たちも足をとどめた『吹上宿』。中でも信濃俳人小林一茶や加舎白雄、狂歌師で戯作者でもあった太田南畝、浮世絵市の池田英泉などはそれぞれ得意な作品をのこしています。そして江戸以来、吹上の名物は『忍のさし足袋』と荒川の『うなぎ』、『榎戸の目薬』も街道の名物にかぞえられていました。
この場所は、かっての中山道が鉄道の開通によって分断された地点にあたっています。 」